一番やっかいな壁

 人間社会には人間同士の交流を妨げる壁が付きもの。例えば「言語」。互いの言語が理解できず、せっかく友だちになれたはずなのに、変に誤解が生じて気まずくなることがある。あるいは「宗教」。自分の宗教が一番正しいと信じ込むと、他のどんな宗教も胡散臭く見えて、宗教戦争なんてことにもなりかねない。

 だが、言語も宗教もいくらでも乗り越えられるし、そして互いに理解し合い、どんな人とも仲良くすることができると思う。

 コンピュータ・IT技術の発展は目覚ましく、いろんな言語の自動翻訳ができるソフトが溢れている。翻訳の精度や語彙などまだまだかもしれないが、どんな外国人とも普通の意思疎通ができるレベルにはある。少なくとも翻訳技術は今後益々進歩し、もう5年、10年もすれば、私のような一般人も耳にイヤホンのようなものを付けただけで、瞬時に外国語が日本語に翻訳されて聞けるようになるし、逆に自分の喋る日本語がその場でいろんな外国語に同時通訳されて伝えることができるようになるだろう。

 頑に信じ込むとなかなか殻を破れない宗教は言語ほど簡単ではないかもしれない。だが、宗教の本質は人間愛なのだから、本物の宗教ならば生活習慣など文化の違いを超えて互いを尊重し合えるはずである。もちろん無神論者とも仲良くなれる。「神を信じる者も、神を信じない者も」だ。

 どんな壁も時間を掛ければ乗り越えられると思う。しかし、そう簡単にはいかない、もっともやっかいな壁があることを私たちは自覚しなければならない。ひとり一人の人間の心の奥底に巣食う、それは「自己愛」「自己陶酔」「自己中心」という自分自身の壁である。

 右翼知識人?たちの「新しい歴史教科書をつくる会」という団体がかなり前から存在するが、歴史を改竄し自分たちに都合のいい歴史にしてどうするつもりなのか。彼らは、自己愛、自己陶酔の典型で、これまでの歴史を「自虐史観」と攻撃するが、しかし私に言わせれば、彼らの「新しい歴史〜」こそが「自己中心史観」に過ぎず、自分たちだけの世界、すなわち壁を築いてしまっている。

 自己愛、自己陶酔、自己中心、これらは自分の本当の姿に盲目となり虚飾に覆われた自分に酔いたがる。虚飾の殻に閉じこもる。これが一番やっかいな壁であり、こんな壁を築けば小さく孤立するだけ。自由で広大な世界と断絶してなにが嬉しいのだろうか。