恐怖の報酬(映画)

 「恐怖の報酬(1953年制作、フランス映画、監督アンリ=ジョルジュ・クルーゾー、主演イブ・モンタン)」を久し振りに観た。衛星放送の洋画専門チャンネルから録画したものだが、2時間半の長尺、欠伸ひとつすることなく見入り、改めてサスペンスの傑作だと再認識した。

 東京に出たての頃、新宿歌舞伎町のミニシアターで初めて鑑賞した。そのとき、面白いとはぜんぜん思わず、欠伸をかみ殺しガマンしながらスクリーンに向かい、だから内容はまったく覚えられなかった。その後、どこかの名画座で再見する機会に恵まれ、時間を経てようやくこの名画の真意を掴むことができた。

 太陽が照りつける中米の片田舎を舞台に、油田火災を消すためニトログリセリンをトラックで運ぶ男たちの物語。きわめて敏感な、爆発威力の大きいニトログリセリン。目的地までの険しい道中、果たしてどうなるのか。ハラハラドキドキ満載のこの作品。だが、前半と後半とで雰囲気はまるで違う。

 映画が始まって一時間は、アメリカの石油資本が支配する田舎町、失業してカネに目のくらむ人物たちのダラシナイ描写が延々とつづく。最初、私はこの人物描写が退屈でたまらず、いつになったらトラックの運搬が始まるのかとイライラした。しかし、じつはこの前半の丹念な人物描写があればこそ、後半のサスペンスがより深まり、作品に厚みが増したことが分かる。

 要は、「恐怖の報酬」は単なるハラハラドキドキのサスペンスに留まらず、冷徹な資本の論理や、状況における人間関係の変化など、人間をより深く洞察しているところが優秀なのだ。

 以前、「エクソシスト」という映画についても触れたが、同じ作品でも、若い頃と、年を取ってからとでは、印象がまるで違うということ。それなりに人生経験を重ねることが、同時に人間や社会を見る目が肥えて、対象への評価が変わる。

 映画でも文芸作品でも、同じ作品を、二度、三度と繰り返し鑑賞することは稀だろう。常に新しいものに接することは大切だが、それで一度きりの鑑賞で通り過ぎる作品がどんなに多くなることか。これまで、いかに多くの作品の真意を見逃してきたことか。それらを一つひとつ探りたいのだが…しかし人生はあまりに短すぎる。