エイリアン(1979年映画)

 インターネットの数あるアダルトサイトの即物的直接描写にエロティシズムは欠片もなく、それらから心身が高揚し満足を得ることはほとんどない。映画好きな私は常々、セックスを描かずにエロスが充満する映像を観て興奮したいと思っている。だが、残念ながらそんな作品に巡り合うことは滅多にない。

 SFホラーの「エイリアン」は映画ファンの間では評価がとても高いが、それはセックスの直接描写がないにもかかわらず、全体にセックスの匂いが充満し暗喩に覆われていることが大きいと思う。すなわち全裸やベッドシーンを描かずにエロスが発散される貴重な作品なのだ。

 明るく健康的なエロスからはほど遠い、「エイリアン」は全体が暗く淫靡で凄惨である。しかしだからこそ、欲求不満の鬱屈した感情が重なれば、それでより興奮する。異星生物エイリアンは男根の象徴だし、丸めた雑誌を強引に口に押し込められた主人公リプリーが悶絶しながら殺されそうになる場面は暴力的フェラチオそのもの。閉ざされた宇宙船から脱出を図るリプリーはエイリアンという強かん魔から必死に逃れようとする。クライマックスにおけるリプリーの半裸スキャンティ姿はエロスをより脳裏に刻み込ませるための巧みな演出だ。

 ところでエイリアンという言葉、今では誰もが口にするほど一般化したが、その発端はこの1979年制作の米国映画「エイリアン」から。強く逞しい女性主人公リプリーがたった一人でエイリアンを撃退するという内容が、公開当時からフェミニズムを通し女性が自立する象徴として謳われ賞賛されてもいた。

 私は東京駅の近くにあった「八重洲スター座」という地下の名画座で観たのだが、20代半ばで日頃から欲求不満だった私は、だからこそ地下の劇場内が宇宙船の閉ざされた空間と同化し、ひとりマスタベーションに耽るかのような世界に興奮していた。振り返れば、なんて孤独で暗い青春だったろうか。

 この作品でどうしても腑に落ちないところがある。乗組員の体内に寄生したエイリアンが腹を裂いて新たに誕生するが、その産まれたばかりの赤ちゃんエイリアンが、なぜかいつの間にか巨大化しているのだ。何かを食べた形跡はなく成長の説明が全くない。宇宙船内で赤ちゃんはなぜ急に巨大化したのだろう? ただこれも、エイリアンが男根の象徴ならば、小さなペニスが興奮して大きく勃起しただけ、と解釈すれば辻褄が合うような気もする……。