思い出の補完

 たった一人ボンヤリしてると過去のいろんなことを思い浮かべるが、そもそも思い出とは何だろう? と、ふと考えたりもする。思い出とは単なる記憶ではなく、他の何かが付随した別世界のような気がしてならない。

 映画好きな私は、これまで鑑賞した多くの作品をときどき思い返すが、タイトルは覚えているが中身がサッパリ思い出せない作品もあるし、タイトルどころか観たことすらすっかり忘れてしまった作品もあるだろう。

 印象深い映画作品とは、内容が面白く無中になったことが基本とはいえ、しかしどうもそれだけでなく、何十年も前の若い頃に観た作品がいつまでも記憶に残っている場合、作品以外の当時における周辺環境の要因によるところが大きいのだと思う。

 なんとか口説き落とし片思いの女性と初めて一緒に観た社会派ドラマ、他人の視線を気にしつつ劇場前でさんざん迷ったあげく勇気を奮って覗いたハードコアポルノ、周辺のビルの谷間に埋もれながら絵看板だけが派手な古風な劇場…、作品以外の別の何かが鮮明に頭の中に刻印されている。

 シネコン全盛で名画座が無くなり、衛星放送の専門チャンネルに加入すれば映画が見放題という今日の状況では思い出のカタチも変わらざるを得ない。正直、映画専門チャンネルで鑑賞する作品はベルトコンベアー式に次々と消化されるだけだし、数は多いが似たような造形のシネコンはスクリーンそのものが主となり映画館と呼べる劇場とは違う。

 昔は良かったというつもりは毛頭ないが、最近観た作品がサッパリ記憶に残らず、古い時代の作品ばかり思い出となるのはなんだか寂しい。これは単に年齢のせいだけでなく、社会が均一化してるからかもしれない。

 格差が広がり不公平が蔓延する均一化された社会はとても不幸で味気ない。楽しいだけじゃなく、ほろ苦く、辛く、恥ずかしく、バカバカしい…、それらの経験が思い出深いものにするはずだ。

 ガラガラに空いてたポルノ映画館、いきなり真横に座った中年男性が私の大切な場所をしきりに触ろうとして私は必死にガードしていた……ずいぶん昔のこととはいえ、そのときの感触が今も私のお尻から太ももあたりに残っている。