夏目漱石を読む

 去年の暮れから、夏目漱石の小説を読んでいた。彼の作品ばかりに没頭していたわけではないが、「吾輩は猫である」から死の直前まで書きづづけ未刊に終わった「明暗」までの長編物にはすべて目を通した。時系列的にきちんと作品を読み進めたわけでなく、その時々の気分で選びながら読んだが、それでも漱石の最後の作品となった「明暗」を、やはり最後に読んで漱石の世界に一応終止符を打った。

 全体を読み通しての感想は、夏目漱石の小説はなかなか冷徹で、非常に奥深い。もし20代の若い頃に読んだなら、漱石の本当の真髄は分からなかったろう。私も年輪を重ね、それなりに経験を積んだからこそ、漱石の世界に浸ることができたのだと思う。

 漱石の小説の面白さを一言で表すのは難しいが、あえて言うなら、人間関係の非常に細かい描写にあると言えるかもしれない。親と子、兄弟姉妹、夫と妻、親戚や同僚…等々、それら人間関係の心理を通して時代の雰囲気や問題点を暗示させる。並の小説家なら5行で終わるところを、漱石は5ページにも渡り、本音と建前、信頼と疑惑、そして不安や期待、さらに諦めや絶望を、これでもか、これでもか、と描き出す。

 このように書くと、大層疲れてしんどそうだが、じつは逆に、次から次へとページをめくりたくなる。それはどこかミステリーじみているからで、探偵小説とは違い本格的な謎解きではないが、「この人は本当はどう思っているのかしら?」という感じの、得体の知れない魅惑が隅々に漂うから、つい引き込まれるのだ。漱石の文章力によるところが大きい。

 小説に登場する様々な人物や、描写される事件や出来事には、漱石本人が実体験したであろうと想像できることばかり。若くして外国(イギリス)から日本を見ることができたし、妻とは緊張が持続したし、教え子は自殺するし、本人は大病を繰り返すなど、漱石の生涯50年は波乱に満ちていた。それらの経験がどの作品からも色濃くにじみ出て、特に「彼岸過迄」「行人」「心」など、後半の作品が重い。

 およそ100年前の作品群にもかかわらず、夏目漱石は現在にも十分通じる。時代背景は違うし、家族や恋愛の形もすっかり変わったが、それでも社会を生きる人間を個人の視点から捉えようとした試みは重要で、だから現在の私たちにとって少しも古くはないのである。