安倍政権に憲法を語る資格なし

 平和、自由、平等、個人の尊重、基本的人権国民主権…これらを表記した憲法でも、時代の移り変わりとともに文言そのものが古くなるのは当然で、いずれ新しい時代にふさわしい言葉に変えることは必要になってくる。しかし、それはあくまでも立憲主義の理念に基づいた上での話だ。

 改憲を目指す安倍政権の狙いは、世界から戦争や紛争は絶えず、だから戦いで血を流す国防軍を整備・増強させ、さらに個人を尊重し過ぎれば自分勝手となり家族や社会が崩壊しかねず、だから公益と公共を重んじることを優先に個人を国家に従わせる。すなわち、歴史を捏造したがる安倍政権の企みは立憲主義の否定であり、自民党改憲草案が実現すれば、もはやそれは憲法と呼べる代物ではなくなり、日本は民主主義の道程から脱落、一気に独裁国家へと突き進むこととなる。

 世界から戦争や紛争が絶えることがない現実が横たわればこそ、日本は平和憲法をより強く推し進め、それを周辺諸国に発信しながら世界をリードすべきだし、人の自分勝手で家族や社会が崩壊する懸念があるなら、その原因は利己主義にあり、むしろ人同士による個人の尊重が足りないからだ。平和憲法を礎に、個人が尊重され不公平の是正を目指そうとする限り、公益や公共が大きく乱れることなどありえず、利己主義に走り自分勝手なのは安倍政権そのものではないか。

 安倍政権は、まずは日本国憲法96条の「この憲法の改正は、各議員の総議員の三分の二以上の賛成〜」の三分の二を過半数に変え、それを突破口として憲法全体を改変したいらしい。だが、これにより権力が暴走しないよう「国民の側が権力を監視する憲法」から、こんどは逆に「国民を監視する権力に都合のいい憲法」になりかねず、もっての他である。

 かりに、初めに日本国憲法96条を変えたいのであれば、表記の後半にあたる「〜選挙の際行われる投票において、その過半数の賛成を必要とする」を、「全有権者過半数の賛成を必要とする」のように、「全有権者」という文言こそを追記すべきなのだ。

 改憲か護憲か、とマスコミは騒ぎ立てるが、なんとも妙で、これの本質は立憲主義という理念の否定か擁護か、なのである。繰り返すが、たとえどんな改憲であろうとも立憲主義が基本になければならず、立憲主義を否定する安倍政権に憲法を語る資格はなく、そもそも論外だ。こんな政治家たちに日本社会が牛耳られるという現実は、本当に情けない。