秋深まる

 9月の平均気温が過去最高を各地で記録したらしい、金沢でもそうだった。9月半ばの15日前後は、かつての旧盆のような陽気で明らかに夏の季節が拡大している。だが、22日秋分の日を境に急変、10月に入りようやく秋らしくなってきた。

 10月は初夏の5月と並び一年でもっとも過ごしやすい時期だが、しかし日が暮れるのが本当に早い。いつものように夕食の準備のためスーパーへ行くが、家を出るとき外はまだ明るかったのに帰宅するときは既に周囲は暗闇に包まれ、なんとなく寂しくなる。同じ秋とはいえ、東京で暮らしていたときは乾燥した連日晴天の冬がこれから来ると思うとちっとも寂しくなかった。曇天つづきで霙や雪が舞うのが金沢の冬。だから冬を迎える心構えがまったく違ってくる。

 久しぶりに近くの川の下流地域を長々と散歩する。コスモスが群生する場所があり毎年かならず見学している。今年も見事に咲き誇っていた。コスモス(秋桜)の濃淡豊かなピンクの薄い花びらはいかにも秋にふさわしい。数が少ないとそれほど目立たないが、大量に群生しているとさすがに見応えがある。夕暮れどき、コスモスが両側に咲き誇る人気ない道を歩けば、遠くの街の風景とたくさんの花々がコラボレーションして、そのままソックリ額縁として切り取ってしまいたくなる。

 急に思い出す。「10月はたそがれの国」というSF小説レイ・ブラッドベリの短編集を読んだことがあった。ずいぶん昔のことなので内容は忘れたが、「たそがれ」という言葉、10月にはよく似合う。

 冬至まで2ヶ月以上あるのに、毎年こんなに早く暗くなったかな? 私の内面ではどうしても世相が反映する。実際、福島の原発事故から今現在も放射能は撒き散らされてるし、原発を稼働しつづけるなら、また必ず大事故は起きる。秋が過ぎて、雪の替わりに放射能が辺り一面降り積もる冬が半永久的につづくことにもなりかねない。

 来年もコスモスが群生し、同じ場所で心地よい夕暮れどきの散歩ができますように。孤独な散歩は自分や世間を省みる絶好のひとときだ。