差別感情の本質

 本題に入る前に、どうしても言いたい。今の日本は問題だらけ。特に「原発」と「沖縄」は双璧で、この二つのデタラメな状況が改善されない限り、日本に明るい未来は訪れない気がする。原発と沖縄は別次元みたいだが、じつは根底において同じ構図を抱えてることは多くの識者が指摘するとおり。

 中央と地方、格差、不公平…それらの矛盾が剥き出しとなり、そしてなによりも米国の都合で振り回されるなんて、原発と沖縄はまったくの相似形。私たちの豊かさや安全が弱者の多大な犠牲の上で成り立つ構図こそ、これからを生きる日本人が――いや、日本人だけじゃなく人類全体が克服しなくちゃならない大問題だ。

 ところで、差別の感情ってどこからくるのか? 前回の記事で「在特会在日特権を許さない市民の会)」を例に上げたけど、不思議でならないのは、朝鮮人や中国人に対し、なぜあそこまで憎悪するのか、ってこと。確かにどんな人間も何かしらの差別感情は心の片隅に抱えてるかもしれないが、しかし、タガが外れたように、まるでダムが決壊したかのように、一方的に悪態を撒き散らす姿勢や行動には、もはや「私は人間止めました、私はバカです」と宣言してるみたい。

 在特会のような朝鮮人や中国人に対する差別を見ると、米国での白人による黒人差別とどこか共通するところがある。アフリカから拉致された大勢の黒人奴隷たちが社会の底辺で過酷な労働を強いられ、それが米国における白人社会の繁栄の礎になったことくらい説明するまでもなく、多くの白人には過去の罪の意識が沈殿し、それが逆作用して差別に現れるのかもしれない。さらにまた、身体的能力(性欲や運動力)で黒人に劣る白人のコンプレックスがあるからだろうか。

 同じように、日本人には朝鮮人や中国人に体するコンプレックスが無意識の奥底で燻ってるに違いない。なんといっても歴史を見れば分かるように、日本文化とは元々中国や朝鮮から受け入れたものが大半だ。日本が成立するのはそもそも中国や朝鮮のお陰なんだから。そんな日本が朝鮮半島や中国大陸へ侵略した過去を持つ。侵略の罪は永久に消えることはなく、それは計り知れないくらい大きく重く、その罪の意識が逆作用して差別感情となるのかな。

 もちろん「コンプレックス」の一言で済ますわけにはいかない。けれど、それが差別感情の大きな要因ではないかとさえ思える。差別するのは自分の弱さを露呈するようなもの。すなわち自分自身を直視するのが怖いんだな。自分が存在すること自体を恐れているから、自らをカモフラージュするしかない。歪んでる証拠だ。