不公平なオリンピック

 土曜(28日)の朝、いつものように目を覚ましテレビを点けたらロンドンオリンピックの開会式を中継していた。大袈裟な演出は北京が最後だと思っていたのに、今回のロンドンもかなり派手だった。

 開会式を華美にする必要はない。選手の入場、主催側代表ならびにIOC会長の挨拶、五輪旗の掲揚と選手宣誓、最後に聖火を点灯する、ただそれだけでいいと思う。平和の祭典を強調したいが為に時間をかけて派手に演出すればするほど、それこそ逆に悲惨な現実世界を浮き彫りにさせるかのよう。

 さて、いよいよ本格的に競技が始まる。競技そのものは公正なルールに則り運営されるとしても、実際は競技場内ですら始めから不公平が蔓延している。競技場の外へ一歩でも出れば、さらにひどい不公平が覆っていることは多くの人々が認識する通り。監督やコーチの人選から、資金や設備まで、各国・各地域間にはそれら環境そのものに格段の差が横たわる。

 現在のオリンピックは、現実世界の縮図だ。人々はオリンピックに公平な社会の夢を抱きたがるが、実はオリンピックこそが世界の格差を見事に、より如実に現出させてしまう。

 アメリカやロシアや中国がメダルの大半をさらってゆくことは始まる前から分かっている。いつの間にか、オリンピックは国別メダル獲得競争の場と化したし、 プロスポーツ選手の集合場所になってしまった。

 平和を象徴するオリンピックだが、このままだと国や地域だけでなく、一人ひとりの人間同士に不公平をますます助長させる手段となりかねない。プロとして自分の好きな競技に専念でき、それで金メダルを取り生涯が保障されるなら、それはオリンピック精神に全く反している。オリンピックに参加する選手で上位入賞者こそボランティア精神の発揮者たるべきだ。

 オリンピックそのものを否定したくないからこそ、オリンピック期間中は浮かれたりせず、より批判的な眼差しで注視したい。それにしても、オリンピックの単なる提灯持ちと成り下がったテレビや新聞の報道姿勢、並びに評論家たちの言動は本当に情けない。