いじめについて

 大津市の市立中学校で2年生男子が「いじめ」で自殺したらしく大問題になっている。生徒が自殺した事実だけでも大変だが、今回は9ヶ月も前の一人の生徒の自殺が、いじめが前面に出ないよう学校や教育委員会隠蔽工作したことでより深刻になった。

 「いじめ」は陰湿でネチネチしてじつに嫌だが、これは学校だけでなく、人が集まる場所ではどこでも起こりうるだろう。自殺という悲惨な結果を目の前にすれば、いじめをなんとか撲滅したがるが、残念ながらいじめは決して無くならない。

 かつて全国的にいじめが話題になり大々的に報道されていたのに、その後、一時期沈静化し、まるでいじめが消滅したかのような雰囲気となった。とんでもない、じつは何も変わっていなかった。実際、いじめが無くなるなんて誰も信じないだろう。

 振り返れば、私の小学・中学・高校時代にもいじめはあった。また、社会人になってからも勤め先の会社ではそれらしき事は度々あった。私の周囲でさすがに自殺という事態には至らなかったが、それでも登校拒否する生徒はいたし、会社で姿が見えないと思ったらいつの間にか退社していたのだった。

 人間同士が集まれば必ず好き嫌いの感情が渦巻く。いじめに似たことはどこにでも起こる。むしろ、いじめは必ずあるものだとして対処する方が懸命だ。

 いじめる側といじめられる側、両者を見る限り、いじめられる側の子供たちこそ、感受性が豊かで、物事を深く考え、何でも真面目に取り組もうとする。じつは、いじめられっ子こそが才能豊かで個性的なのである。いじめる側は表向き威張って強がりたがるが、中身はたいしたことなく、自分よりも才能豊かで個性的な相手に嫉妬して虚勢を張っているだけだ。先生や周囲の大人は、是非それらの点を注視してほしい。

 いじめた側の生徒の名前がネット上に晒されたり、また「加害者を殺す」とハガキを市長に送った69才の男性が逮捕されたり、いじめの上塗りが止まらない。火に油をそそぐような情況がつづき、これではいじめの連鎖はエスカレートするばかり。問題の解決からは遠のくだけではないか。

 繰り返すが、いじめが無かったかのように取り繕うことは問題をより深刻化させる。いじめはどこにでもあるのだから、むしろオープンにして皆で対策を考えることだ。