年を重ねると…

 年を重ねれば、それに比例して人生経験が豊かになるのは確かだろう。だが、それで偉くなったと勘違いするのか、多くの老人はどうしても上から目線の態度で物事を判断し、そして教訓めいたことをついつい若い人たちに向けて口にしたがる。
 
 分かったつもりの老人たちは喋ることで気持ちいいかもしれないが、聞かされる方は素直に聞いてるフリしながら、内心では「このクソ爺イ、このクソ婆ア」くらいしか思ってないし、実際、教訓を垂れたがる年寄りほど迷惑な存在はない。

 教訓を垂れたがる人間こそ、じつは人生を分かっていないのだ。典型はお坊さんで、誰かの葬式を終えた後など、やたらと長くうんざりする「正しい人間の生き方」を聞かされた人は多いのではないか。社長や先生と呼ばれる人種も似たようなものかもしれない。

 ところで、私はささやかな目的を持っているが、それは長生きして、100歳になったとき自分の本を出版することである。私は典型的な大器晩成型だから十分可能だ(笑)。私はそのときが楽しみでならない。

 年寄りが書く詩や小説やエッセイなんて、長生きすればこそ、ついつい人生訓や社会訓に満ちて胡散臭くなるものだが、そんな作品などまっぴらゴメン。アホで、マヌケで、前向きで、常に未完成な作品を目指したい。

 今後、ますますコンピュータは進化・発達し、人間社会全体のAI 化は必然だが、しかしどんなに進歩しようとAI に物事の本質は理解できまい。詩や小説もどきならAI だっていくらでも大量生産できるし、AIは教訓集なら即作れるだろうが、本物の作品は決して残せない。

 本当に人生を分かっているなら、偉そうな態度や言論からは無縁である。どんな生き方をしようと、人生を集大成などしたくないし、年を取れば取るほど曖昧模糊になりたいものだ…と、私の意見もずいぶん教訓的になってしまったか(笑)。