ロンドン・オリンピックが始まる

 ロンドン・オリンピックがもうすぐ始まる。開催が近づくにつれNHKなどテレビ局は視聴率を稼ぎたいためオリンピック関連の番組を流す。近年、スポーツイベントはとても盛り上がるが、これは社会が先行き不透明だからか、スポーツに夢中になり憂さを晴らしたいという人々の気持ちが反映するのだろう。

 数あるスポーツイベントの中でも頂点に位置するのがオリンピック。私など子供の頃は「清く正しく美しく」聖なるものとして崇め、だから開会式など最初から最後まで真剣に見ていた。しかし、スポーツ界の裏側を知り、政治に翻弄されるオリンピックの正体が分かると、いつの間にか距離を置くようになった。

 今では世間が騒げば騒ぐほど、オリンピックなんかどうでもよくなる。しかしスポーツへの関心が消えたわけではなく、オリンピックの開催中は陸上競技を中心についつい見てしまう。馴染みのない競技が見られるのはいい。

 前回の北京大会で野球は終わったが、サッカーもラグビーもテニスもゴルフも、それらには世界大会がいくつも用意されているのでオリンピックには不要だ。マイナーな競技こそオリンピック期間中だけでも目立ってほしい。

 それにしても、これまで開催された都市を見るとずいぶん偏ってる。欧米を中心に東アジアの一角とオーストラリアのみ。アフリカでは、中近東では、南米では、未だ開催されておらず、ロンドンの次のリオデジャネイロでようやく南米初となる。

 ところで、メダルを獲得することはとても難しく、大変な努力が必要かと思う。しかし有力な選手たちの「何が何でも金メダル」というコメントを聞く度に、現時点におけるスポーツ界の視野の狭さと底の浅さを実感する。選手たちには社会を見据えたもう少し膨らみのある言葉がほしい。立場が弱いのは分かるが、それでも一方的に権力の言いなりになってほしくない。

 スポーツに政治介入は御法度だが、残念ながらいつも政治は土足で踏み込んで来た。これまでスポーツに携わる選手や関係者は政治に利用されるだけだった。本来は逆で、選手たちは公平な社会の実現をもっと政治に要求すべき。いろんな地域の誰もがスポーツを楽しめる環境作りがどんなに大切か。電気、ガス、水道、交通、コンピュータ等と並んで、スポーツは重要なインフラである。