反社会的勢力とは何か

 「反社会的勢力」という言葉を最近よく見かける。初めは何かと思ったが、要するにこれは主に「ヤクザ」や「暴力団」を指す言葉らしい。しかし、なぜ直接、ヤクザや暴力団と表現しないのだろう。糞を「クソ」ではなく「フン」と呼ぶように、ヤクザや暴力団を「反社会的勢力」と呼んだ方が品良く聞こえるからなのか。

 それにしても違和感がある。ヤクザや暴力団と呼ぶ方が明らかに分かりやすいし、事件や事故が起きたとき反社会的勢力という表現だけでは曖昧過ぎて状況が把握しにくい。こんなことは警察もマスコミも十分理解しているはずだが、しかしあえて「反社会的勢力」という言葉にこだわるのは別に意図があるからだ。

 大飯原発再稼働に関連して首相官邸前や関西電力本社前で大規模な反原発デモ(主催側発表で4万人以上)が繰り広げられたが、権力側にとってこれらのデモが正義になってはマズイので、デモそのものが世間に迷惑をかける行為として何とか演出しなければならない。

 政府や警察などは、じつはデモに参加する人たちまでも反社会的勢力として括ろうとする。法律の枠外の団体や個人のみならず、権力に楯突く団体や個人にまで「反社会的」のレッテルを貼りたくてしょうがない。要するに、「反権力」とは「反社会的」だと認知させたい。

 ジョージ・オーウェルの傑作SF小説「1984年」を思いだす。詳細な部分までは忘れたが、この小説で描かれた世界では言葉の簡易化が進められ、例えば「good」と「bad」のような言葉を整理し「good」に対しては「ungood」を用いるように決める。そうして思想統制を図りながら全体主義を強化させてゆくのである。

 「un」すなわち「反」であるが、現在の日本の社会状況を見ると、まるで「1984年」に描かれた悪夢の世界を見ているかのようだ。

 大概の人は薄々知っている、裏情報を提供してくれるヤクザや暴力団こそ、じつは警察にとって最もありがたい社会的勢力であることを。ヤクザや暴力団と警察とがこれまで以上に結託し、善良な市民という反社会的勢力を監視する。そんな現実が、もうすぐ訪れるかもしれない。