使われなくなった言葉

 私の母親は現在93歳。かなり以前から日付や曜日が一致しなくなり、受け取る年金や処方された薬の管理がおぼつかなくなり、直近の自分の出来事すら忘れるようになった。傍で一緒に暮らす私には母親が日に日に衰えてゆくことが分かる。

 病院で正式に診断を受けてないので程度までハッキリしないが、母親は明らかに世間で呼ぶところの「認知症」であり、端から見れば誰もがそのように感じるだろう。私も書籍やインターネットで多少のことは調べたし、マークシートのような簡単なチェック方式でも大体のことは把握できる。

 さて、昔は「ボケ」と呼ぶのが普通だったが、今では「認知症」という言葉がすっかり一般的になった。身内についてはともかく、他人に向かって「ボケ」を連発するのは確かに乱暴だから「認知症」という言葉に置き換えられたに違いない。とはいえ何でも「認知症」にするのは一方的で妙な違和感を私は抱く。

 記憶することが困難になった高齢者に対し「認知症」のレッテルを安易に貼ったりしていいのだろうか。「認知症」と表されると、まるで病気になったかのようなイメージだ。歳を重ねて物忘れが激しくなるのはむしろ自然で、ましてや90歳を過ぎた超高齢者なら尚更ではないか。

 あらためて私の母親について考えれば、70〜80ならともかく、90歳をとっくに過ぎた人がボケるのはあたり前、そんなあたり前の症状に認知症という、いかにも専門用語で呼ぶのは間違っているような気がする。ただ単に私の母親は耄碌しただけなのだ。

 「耄碌(もうろく)」という言葉、最近ほとんど目や耳にしなくなった。ボケや認知症と違い耄碌という言葉にはトゲトゲしさがなくむしろ暖かい。年を取って耄碌した、という言葉使いには時間を経た自然の流れを感じる。

 私の母親は今年中に94歳になる。長い波乱の人生を歩んでずいぶん耄碌したようだ。同じ様に苦労して長生きした大勢の高齢者の方々がいる。みんな耄碌しただけなんだ。