背景にあるものを探りたい

 大阪で無差別殺人事件が発生し、またしても無関係だった通りすがりの男性と女性が殺害された。犯人はその場で逮捕され「死にたかったがひとりでは死ねず、人を殺せば死刑になると思ってやった」と語った。こんな語りを聞くと「事件を起こす前に、なぜさっさと自殺しなかったのかバカヤロー!」と怒りたくなるが、私のような第三者が報道だけを信じて単純になり感情に流されるようでは、これまた問題だ。

 人気お笑いコンビ「次長課長」の河本準一の母親が生活保護を受給していたらしく、不正受給ということで大問題になった。この件でも、河本準一を叩き、生活保護者に疑いの眼を向け、さらに生活保護そのものに否定の意識が働くようなら、それこそ本末転倒だろう。

 オウム真理教信者で指名手配中の3人のうち、平田信容疑者と菊池直子容疑者が逮捕され、高橋克也容疑者ひとりが逃亡中となり「地下鉄サリン事件」をふたたび思い出す。だが、17年が経過して未だ事件の真相は闇のまま。ただ、これまで逮捕されて裁判にかけられた容疑者が次々と死刑判決を受けたことだけが記憶に残る。

 さらに遡り、1972年には「連合赤軍事件」が世間を震撼させたが、当時は仲間同士の凄惨なリンチばかりがクローズアップされた。40年も経過しながら事件の核心まで迫れたかどうかは疑わしい。中心人物の森恒男は獄中で自殺、同じく永田洋子も刑務所で病死、これまた真相は闇に葬られようとしている。

 戦争を含め、無差別殺人、テロ、リンチ…と、それぞれの事件に関して私たちはこれまであまりに軽く通り過ぎて来たような気がする。正面から向き合おうとはせず、深く考えることをして来なかった。いやむしろ、次々と大々的に報道を垂れ流すマスコミは人々の感情に訴えかけるだけ、深く考えさせないよう背後から私たちを操作していた―これこそが真相かもしれない。

 国家間の戦争という大きな事件から、生活保護や近所のトラブルのような小さな事件まで、表面的には全く違った様相でも、人間が介在するならどこかで繋がりがあるはず。何が通底しているのか、背景を探ろうとしないなら、私たちは、流され、翻弄され、操られるだけの存在で終わる。