優生思想を超えるために

 相模原市知的障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者19人が刺殺された事件から丸一年以上経過したが、現在に至っても植松聖容疑者からは反省の言葉は聞けず、相変わらず「障害者消滅」の思想の正当性に凝り固まっているとのこと。

 この事件は現代社会が抱える問題が圧縮され噴出したかのようで、「役立たずはさっさと消えろ」と言わんばかりの優生思想は、おそらくどんな社会のどんな人間の深層心理にも渦巻いている。だがしかし、そんな思想が支配するようになれば人間社会は破滅するだけだ。

 優生思想、差別主義、軍国主義国粋主義などじつに単純で浅はかだが、そんな右翼的な全体主義思考の特徴は言葉と直結して分かりやすく、だからこそ大衆に受け入れられやすい面がある。

 「津久井やまゆり園」の惨劇を狂人の犯行として簡単に片付けるわけにはいかない。「障害者は不幸」「障害者は社会の無駄」「だから抹殺してもよい」…すなわち単純思考が社会の根底で蠢いていたからこその事件だったのであり、一人ひとりがこの事件を直視しつつ思考を巡らせなければ。

 本当に重要なことは、決して言葉で単純に表現できるものではない。

 いつの時代でも狭量な右翼的思考を乗り越えてこそ真の前進と言えるだろう。人間が思考停止になったら、あっという間に優生思想の差別主義に陥る。感覚を研ぎ澄まし、常に考えつづけること、さもないと私たちに未来は拓けない。言葉にならない大切なものを探し求めて言葉を紡ぐ…。

 そもそも障害者と健常者をいったいどこで線引きできるというのか。誰もが何らかの障害を抱えているのが人間というもの、障害者を抹殺してよいのなら、自分が抹殺されてもよいことになる。