舞台裏こそが肝心だ

 以前、新宿でBARを始めたとき短期間だが「バーテンダースクール」にも通った。そこでカクテルの作り方など最低限の基本を習ったが、印象に残って忘れられないのは、店を作る基本として「客席を広くキレイにすることより以上に、バーテンダーが入るカウンターの内側こそ余裕ある快適な場所にすべき」と講師から教えられたことだ。収益を上げようと目立つカウンターの外側ばかりに気を使い、肝心の作業空間をおろそかにすると店はうまく回転しないのである。

 残念ながら私の店は居抜きだったので新装開店とはいかず、水回りのシンクなどは旧式で作業空間も狭く、仕事がやり易かったわけではない。改造する余裕などなかったので、最後まで作業場で苦労せざるを得なかった。

 たとえば、家を新築するとき、いったいどこを最優先に考慮すべきかといえば、もちろん台所やトイレや風呂場だろう。居間や寝室をいくら豪華にしても、水回りをおろそかにすると生活を始めてから泣くことになる。劇場などは典型で、目に見える客席や舞台も大切だが、普段は隠れている舞台裏を充実させることがなによりも肝心で、野球やサッカーなどの競技施設もまったく同じだ。

 さて、原発について考えると、安定したエネルギー供給という表舞台に対し、使用済み核燃料の処理という舞台裏がまったく整っていないことが分かる。これはよく例えられるように、原発とはトイレのないマンションのようなものである。トイレのないマンションは、いくら外見がりっぱで丈夫だろうと誰も住みたいとは思わないはずだ。

 原発再稼働に関して「安全性の担保」が論議されつづけている。だがしかし、どんなに地震津波対策を講じても、どんなにセーフティネットを整えても、そしてかりに100%安全に原発が稼働できたとしても、原発の稼働そのものが、同時に使用済み核燃料を山積みにすることなのだ。そもそも安全かどうかで原発を判断すること自体が相当ズレてる。処理ができない放射性廃棄物を産み出す、ただそれだけで原発は失格である。

 関西広域連合大飯原発3、4号機の稼働を容認してしまった。脱原発を貫くような素振りを見せながら再稼働を口にした橋下徹大阪市長の責任はとても大きい。憲法九条が悪いと吠えまくり、核兵器が大好きで軍備増強を目論む橋下徹脱原発だと信用する方がおかしい。「原発」なんて「核兵器」の裏返しで同根だ。