橋下徹がダメな理由

 橋下徹日本維新の会代表がまたまたやらかしました。本当にこの人はマイナスの大きな問題提起をしてくれる人ですね。「従軍慰安婦(性奴隷)」と「米軍の性処理」に関する橋下徹の発言は、国内だけでなく、海外からも厳しく批判されています。

 インターネットでも良識派ブログから散々問題視されているので、私があえて似たような意見を繰り返す必要はありませんが、それでも私なりに、なぜ「橋下徹はダメなのか」をなるべく簡潔に述べてみます。

 「かつて世界中で奴隷制度が認められていた」「江戸時代には士農工商穢多(エタ)非人という身分制度が確立していた」「最前線で戦う兵士には慰安婦が必要だった」…等々。当時はだから仕方なかった。――以上のような意見がまかり通れば、現在においても不公平が蔓延している、だから格差・差別があるのは仕方ない、という理屈に直結します。

 過去を学びながら、現在を生きる私たちは、未来に向けてどんな人間社会を築くべきなのか。どのように認識するか、過去の捉え方ひとつで、現状にズルズル妥協しながら、未来の扉を閉ざすことにもなりかねません。ある意味、橋下徹は、過去を見て、現在も見ているのでしょうが、しかし未来志向は甚だしく欠如しているようです。

 橋下徹がズルいのは、被害者と加害者、あるいは勝者と敗者とを同列扱いし、事実を歪めていること。すなわち、日本は悪いことをしたが、米国や、中国や、朝鮮など、世界中の国々のどこにでも「慰安婦」や「性処理」の問題は潜在すると訴え、歴史における人類の過ち(特に日本の過ち)を免罪しようとしていることなのです。

 つまり「みんな悪いのだから日本は特別悪くない」という逃げの手法で、こんな卑怯な論理を振りかざすことこそが大問題なのです。「戦争なんだから、人が殺し殺されるのはあたりまえ」「性風俗がある以上、それを利用するのはあたりまえ」という結論に終始し、自由と平等を嘲笑い、平和を目指そうと努力する社会に唾を吐き、そして人権を踏みにじっている。

 たとえ場末の飲み屋の片隅でも、橋下徹のような言論は恥ずかしくて口に出せないでしょう。こんな人間が公人の政治家として認知されつづけるのであれば、日本社会は絶望するしかありません。橋下徹石原慎太郎、そして安倍晋三はほとんどソックリですね。

 橋下徹のような人物はどんな社会になっても出てくるかもしれません。そして、その都度、人々は問われることになります。橋下徹的なものを克服できるのか、どうか。いつの時代でも過渡期・分岐点ですが、特に現在の日本社会は、これから一体どうなるのか? どうすべきなのか? 鋭く問われているのです。