想像力が鍛えられる所

 今の時代、日本で水洗トイレはあたり前だが、私が子供の頃は町の中心部を除いて住宅のほとんどは汲取式の便所だった。離れにあって薄暗く、とにかく便所は怖いところだった。夜になって便所に行くのは相当勇気が必要で、小便でもそれなりに覚悟はいったが、時間を費やす大便になると本当は行きたくなかった。

 便所に対して思い出深い中高年の人は多いだろう。夜、大便のときしゃがんでいるとお尻を何かに舐められそうで、便壷の深い暗闇は魑魅魍魎が蠢く世界だった。怖いので目を上に向けると臭いを逃すため窓が開いている。その窓から見える外の暗闇からも得体の知れない何者かに覗かれているようで恐ろしかった。下を向いても上を向いても不気味な世界が充満する便所では目を閉じて用を足した。

 何がそんなに怖いかといえば便所そのものよりも暗闇が怖いのである。説明するまでもなく、暗闇ほど人間に想像力を掻き立てる空間はない。子供にとって想像力というよりも、たんに空想であり、妄想であり、幻想に近い。しかしいろんなことを思い描ける体験は子供にはとてもいい訓練になる。中でも特に怖い体験は子供にとって貴重である。トラウマになる一歩手前の怖い世界から想像の翼が広がるのだ。

 街中の住宅や公共施設はいまやほとんどが水洗トイレ。白くてピカピカな水洗トイレは怖くも何ともない。もはやトイレから想像力を養うことは不可能。だから水洗トイレを廃止して汲取式に戻せ、と言うつもりはない。そんなことは時代に逆行している。昔の便所は想像力を鍛える場所として役立ったが、今の時代、そしてこれからの時代には、便所に変わる何か新しい施設が必要と思うだけだ。

 とはいえ現在のトイレはこれからも役に立つ。想像力は飛躍せずとも創造力なら発揮できる。普段、風通しの悪いお尻の辺りが直接大気に触れるから新たな刺激を受け、斬新なアイデアが生まれる。多くの人が実感しているはずだが、トイレやフロで人はリラックスできるからこそ新しい発想が湧く。フロは濡れるから難しいが、トイレにノートなどを用意しておけば、その場で書き記すことができるので、かなりの人がそれを活用しているらしいことは昔からよく聞く。

 つくづくトイレほど人間にとって重要な場所はない。かつての汲取式便所に替わる想像力を鍛える「狭く深く恐い場所」をそれこそ新たに創造しなければ。