大人の保身が社会を衰退させる

 テレビがないのでW B C(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本が三大会振りに優勝し、MVPは大谷翔平が獲得したことをラジオやネットで知った。どうやら大谷の、大谷による、大谷のための大会だったようだ。

 これまでアメリカのメジャーリーグで活躍した選手は何人もいるが、中でも、野茂英雄イチロー、そして大谷翔平は特別な存在だと思う。なぜなら彼らは自分の個性(スタイル)を貫き通した(通してる)からだ。

 彼らがプロ野球にデビューしたての頃、日本では多くの解説者や指導者が「そんな投げ方ではダメ」「そんな打ち方ではダメ」「二刀流なんてとんでもない、投手か打者のどちらかに専念せよ」と、知ったかぶってエラそうに口にしていたのを思い出す。

 しかし、野茂もイチローも大谷も、数少ない理解者と周囲の環境に運良く恵まれ、日本で育ち、日本から旅立つことができた。当時、もし彼らが巨人や他のセ・リーグ球団に所属していたら大成しなかっただろう。

 日本では一人ひとりの個性を潰そうとする傾向が根強く残り、校則に象徴されるように同一性が相変わらず強要される。スポーツに限らず、文化系や理科系など各分野でこれまでどれだけ多くの才能が潰されてきたかが想像できる。

 日本では家庭だけでなく、学校でも職場でもあらゆる場所や状況下で、「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ、きちんと決められた正しい事をしなさい」と否定を核とする指導が蔓延り、この「ダメ、ダメ、ダメ、ダメ…」で一体どれほど多くの子どもや部下や新人の才能が埋もれたままで終わったか。否定がメインの指導からは豊かな想像力も自由な発想も生まれやしない。

 「やれ、やれ、やれ、やれ、好きな事を好きなようにやってごらん」と肯定が核になるような指導が主流になれば、おそらく可能性を秘めた若者の多くの才能が開花し、社会はもっと活性化するに違いない。

 親や教師や上司は自分の子供や生徒や部下が、他人に迷惑をかけたり、犯罪に走ったり、仕事に失敗したりして、自分に責任を負わされるのを極端に恐れているようだ。その気持ちは分からぬではないが、しかし結局それは自分の保身が第一、子供や生徒や部下への思いやりなど二の次にしている証拠である。