コネ社会

 岩波書店という老舗の出版社が2013年度の新入社員の条件として、「著者の紹介状、あるいは社員の紹介があること」を発表して話題になった。会社側は「応募の条件であり、採用の基準としない」と説明したようだが、これは要するに縁故採用であり、コネのない人は受け付けません、と宣言したに等しい。

 自慢できるほど沢山の本を読んできたわけではないが、それでも書籍にはそれなりに関心のある私にとって岩波書店は「硬派、教養、知識」を喚起させ、岩波書店の書物に接することがイコール学問のイメージだった。学校の成績がまるでダメだった私など岩波文庫にときどき目を通すことで勉強した気分に浸っていたものだ。しかし一方で、岩波書店からはいかにもアカデミックな保守的な臭いを感じていたことも確かだった。

 今回の「縁故採用」は、岩波書店の最も保守的で悪い部分が正直に表出したように思う。これは岩波書店だけの問題ではないだろう。日本の大手マスコミは、テレビも新聞も出版もほとんどが「コネ」の関係で成り立っているのではないだろうか。前面に出る報道の姿勢や内容、そして多くの印刷物を目にするだけで、人間関係や力関係から全体的に保守・体制へとベクトルが働くであろうと容易に想像できる。

 大手マスコミに限らない。政界や芸能界を見れば分かるように、日本社会はじつは隅々まで「コネ」の網目が張り巡らされ、どんなに豊かで自由に振る舞おうと、じつはそれは表面だけ。実際は弱点を握られ決して本音を口にできず、人々はコネのせいでがんじがらめに束縛された窮屈な生活を強いられているのかもしれない。もちろんこれは日本だけでなく、人間が生きる全ての社会において濃淡の差はあれど共通の問題に違いない。

 振り返れば「コネ」とは全く縁のなかった私はある意味本当に幸せだった。仕事でミスして苦しんだことはあったが、妙な人間関係や力関係に悩まされたことはほとんどなかったからだ。傍から見れば、私など人脈に恵まれない貧しい一個人に過ぎないだろうが、少なくとも私はコネの為に見えない鎖を何重も身体に巻きつけられ生かされてきたわけではない。

 鎖を巻きつけられた贅沢で派手な人生より、貧しくとも自由でのんびりした人生の方がどんなにマシだろうかと思う。