天体ショー

 一昨日の夜のこと、用事があって20時過ぎに外に出たとき、見上げると多少の雲は出ていたが久しぶりに澄み切った空が天を貫き、幾つもの星が輝いていた。その日の夕暮れ、18時近くに雲の切れ目から西の空では金星と木星がかなり近い位置でひときわ大きく輝いていたが、2〜3時間が経過して金星の姿は隠れてしまった。そのかわり、南の空にはオリオン座が、北の空には北斗七星が大きくハッキリ見えた。東の空を眺めるとこれまた大きく輝く赤い星が見えて、さて、あれはなんの星だったかな? そうだ、あれは火星ではないか。

 今年初めには金星と月と木星が同時に眺められて嬉しいという記事を書いたが、こんどは金星と火星と木星を見ることができるなんて、これまたとても嬉しい気持ちに包まれた。金星と木星木星と火星、と二つの星は同時だったが、金星も火星も木星も三つ同時というわけにはいかなかったのはちょっと残念である。でも、曇天がつづく北陸の冬の夜に星が眺められるだけでもありがたいので三つ同時は贅沢過ぎる願いかもしれない。

 哲学者のカントが「夜空の星を眺められないとしたら、それはもう人生の楽しみの半分を失ったようなもの」という言葉を残したらしいと何かの書物で読んだ記憶がある(確かカントだったと思うが、違っているかもしれない)。

 哲学者の言葉は、単に星が見えるとか見えないとかの即物的な意味で語ったわけでないことは言うまでもない。つまり、人知の及ばない遠い世界へ想像の翼を広げられることの素晴らしさを訴えており、毎日の生活にあくせくすると自由な気持ちになれないことを嘆いているわけである。

 人種や宗教が違っても、どんなに文化が異質であろうとも、人それぞれが遠い世界に思いを馳せる余裕を持てるとしたら、ただもうそれだけで人類の平等は半分実現したようなものかもしれない。日々生活に追われる人があまりにも多過ぎる。お金持ちとか、地位とか、名声とか、それら社会的肩書を気にするあまり、想像の楽しみを失うとしたら随分哀しい。物質的に豊かになれば想像力も豊かになれるわけではなく、それは別次元の問題だろう。