憧れと羨望

 年を重ねるうちにふと過去を振り返ることがある。いや、年を重ねたからこそ過去を振り返らざるを得ないのだ。「つねに前を向いて歩こう」とか、「いつも明るく元気に笑顔で」とか、そんな言葉が巷で溢れかえっているが、それらはあまりに嘘っぽくて正直口に出すのも恥ずかしい。

 たった一度の人生だから悔いのない毎日を送りたい、と心に言い聞かせつつそれを思えば思うほど、現実は悔いだらけの毎日を過ごしている。

 ひとりの人間の一度きりの人生、それはたった一本の道だ。どんなに曲がりくねり段差が激しく波乱万丈であったとしても、振り返ればひとりの人生はたった一本に道に過ぎない。人は二つも三つも異なる道を同時に歩むことはできない。あれもしたい、これもしたい、と願いながら、結局はたった一つのことも満足にできないまま終るのが大概の人生だろう。

 だから私のような凡人にとって、特殊な才能に恵まれて活躍できる人たちが羨ましくて仕方ない。

 自分自身を振り返ると、私には数学と音楽の才能がまるでなかったことに気づく。苦手な分野はたくさんあるが、中でも数学的な世界、及び音楽的な世界が私からは距離が遠かった。だからこそか、そんな苦手な世界に強い憧れを抱く。高等な数学を理解できる人や、音楽でも特に楽器を奏でられる人がとても羨ましい。

 凡人の典型のような私だが、しかしあえて自らを擁護すれば私は絵を描くのがうまい方だ。子供の頃はマンガばかり描いていたし、少し大人になってからは絵画を眺めるのが好きで、財布の中身の大半が画集に費やされたこともある。映画ファンになったのも絵画からの影響による。筆を本格的に取ったことはないが、今でも何かのデッサンをすればそれなりに描ける自信はある。とはいえ、今さら画家を目指す気力など湧き出ない。

 残りの人生、私ができることは「詩」を探求すること。文学者として詩人になるというよりも、ありとあらゆる物事を根底から支える存在を詩(ポエジー)として捉えつつ、人生を、社会を、世界を眺めること。じつは、何ひとつ満足に成し遂げられそうもない未完成な自分であるからこそ、そして強い憧れや羨望があればこそ、あらゆる物事の背景に隠された「詩」へのこだわりが膨らみつづける。