インターネットのこれから

 新しいパソコンを選ぶとき、メーカーをどこにするとかOSをどれにしようかと値段を含めていろいろ思案できるのは、それはある意味とても贅沢な悩みだろう。じつは、プロでもアマでも日々パソコンを活用する人々にとり、もっと深刻に悩まなければならないことが目前に迫っている。

 インターネットは人類の歴史上、グーテンベルクの印刷術に匹敵する――いやもっと凄い情報革命だと思うが、だからこそ逆により一層の危険性を孕んでいることは多くの人々が指摘するとおりである。

 SOPA(オンライン海賊行為防止法)やPIPA(知的財産保護法)、そしてACTA模倣品・海賊版拡散防止条約)などが大きな問題となっており、これらはすなわちインターネットを検閲してサイトを閉鎖することができる法律のことだ。これらの法律がもし世界中に蔓延すれば私たちは自由にインターネットを利用することができなくなる。

 ある日、突然インターネットが遮断されたらそれこそ世界中で反乱というか大暴動が発生するかもしれない。しかし全体を支配し操ろうとする権力者はそんなバカなことはしない。権力者にとって都合の悪いサイトは封鎖させるが、大衆のためになる「健全なサイト」ならいくらでも許すはずだ。権力者にとって恐れるに足らないどうでもいい大衆のためのサイトとはどんなものかは、今さら説明するまでもない。

 私がこれまで読んだ小説の中で最も印象深い作品のひとつにジョージ・オーウェルの「1984年」がある。全体主義が支配する恐怖社会を描いたあまりに有名な作品だが、この逆ユートピア社会は決して絵空事ではなく、インターネットが進化したがゆえに下手をすれば明日にでも現実化しかねない。

 何のためのインターネットか。支配し管理するためか? それとも一人ひとりの人間の自由と平等のためか? インターネットが乗り越えなければならない問題として著作権があるが、知的所有権はどうあるべきかを真剣に考えたい。それを強固に守ろうとすればするほど現状の格差を温存するどころか、むしろ拡大させかねないと私は思うのだが――。