インターネットと著作権

 インターネットで青空文庫を開くとメインページの隅に「著作権の保護期間延長に反対します」との表示が目に入る。現在50年の保護期間を70年に延長しようとする動きに青空文庫は反対するわけだが、私もこれには同意する。

 現状維持にとどまらず、著作権の保護期間は短縮すべきとさえ私は思う。文学や美術や音楽などの芸術作品をはじめとする人類の知的財産は、時間や資金に恵まれた特別な人々のためにあるのではなく、広く人類全体が享受できなければ意味はないと考えるからだ。

 中世の時代、グーテンベルクによる印刷術の発明は、従来の知的財産(聖書など)を世界中に広めることを可能にし、これは歴史上最も重要な出来事となった。そして、新たな革命と呼ばれる現代のインターネット。今後、インターネットが益々進化普及すれば、それこそ世界中の人々が人類の様々な知的財産を共有しつつ、感情がより豊かに、知性をさらに磨けるようになる。

 公平な社会を目指し、人々の自由と平等が実現してゆくなら、これまで対立の概念だった国家という存在の意味自体が激変するかもしれず、インターネットはそれくらいの力を秘めている。私としては是非そちらの方向へ世界が進んでほしいと願う。

 ところで、YouTubeを覗くと画質や音質が著しく向上して、映像や音楽が私たちを楽しませてくれるが、そこに著作権はあってないようなものだ。無修正のアダルトサイトなども氾濫してインターネットは無法地帯のようでもある。著作権の期間短縮を望む私だが、しかし完全なる著作権の無視・撤廃は質の劣化を蔓延させ、低いレベルで平均化されるような気がしないでもない。

 私たちは著作権が放棄されたインターネット上で弄ばされ、より洗脳されやすくなりはしないか。インターネットが悪用されると、人々の自由と平等どころか、それは管理と監視の道具と成り果て、小説「一九八四」に描かれたような恐怖の全体主義が世界を支配することにもなりかねない。

 現在、著作権は作者本人の死後からが基準となっているが、私は作品の誕生からを基本にしたほうがいいと思う。作者と作品とは、本来切り離すべきだからだ。私の頭はまだ整理できておらず、インターネットと著作権については今後も考えつづけたい。それは、ひとり一人の人間の向上について考えることにもなるだろう。