戦争防止と支配構造

 もし「戦争の放棄」を明記した「日本国憲法 第九条」が世界の隅々にまで浸透し、世界中の国々の憲法に採用されたなら、世界から戦争や紛争はなくなるのか。集団での殺し合いが憲法九条で永続的に防げるなら、これほどありがたいことはないが、しかし残念ながらそうはならない。

 たとえ「日本国憲法 第九条」が世界憲法になろうと、どんな時代、どんな社会であっても悪さをする個人や組織は必ず出没する。だからイザコザがなくなることは決してない。ただ、かつての「ベトナム戦争」や「イラク戦争」のような大規模な戦争は十分に阻止できる。

 自由で平等で、不公平のない、そんな平和な時代をたとえ築こうとも、時代には必ずほころびが生じ、人間社会が不安に陥ることはいくらでも考えられる。軍隊は要らないが、社会の治安を守るために警察はどうしても必要である。もちろん権力の走狗のような警察ではなく、市民・庶民の側に立つ警察でなければならないことは言うまでもない。

 ところで、現在の軍隊は所有する国々がそれぞれ管理しているが、まずはこれらを国連が管理できるようになればいい。少なくとも国連が一括管理することで、軍隊は各々の国のものではなくなり、これで国家所有の軍隊は表向きは消えることになる。すなわち、世界中の軍隊は国連軍として統括され、そして世界中の国々が憲法九条を掲げ、国が独自で軍隊を持たないことを誓う。

 国連軍に世界の警察のような役目を担ってもらう。ただし、そうなると国連軍がもし暴走したらどうなるのかという別の不安材料が増す。ヘタをすれば国連軍が世界を支配するかもしれず、これでは最悪の全体主義社会を招くことにもなりかねない。

 全体主義を招かないための組織の管理体制こそが問われる。ヒエラルキー(ピラミッド型階層組織)を見直すべきだ。現実世界では大・中・小さまざまなヒエラルキーが君臨して社会を支配しつつ、互いが争い合う。支配構造の典型がヒエラルキーだが、こんな上意下達な管理方式を人類はそろそろ卒業すべきだろう。

 例えば、AがBを、BがCを、CがAを管理するという円形型、あるいは水平型体制機構などを考察してはどうか――もっともっと人類は未来のために知恵が出せるはずだ…。