紙コンピューター

 「紙ほど便利な物はない」と前回の日記で書いたが、コンピューターの世界は限りなく紙に近づこうとしている。iPadに代表されるコンピューターが板になり普及しているが、これからは電源部分も表示パネルも折り曲げられるほど薄くなり一枚の紙になるだろう。まだ実用化されていないが、研究段階において相当進んでいるらしく、コンピューターが紙のようになるのは時間の問題である。

 ロボット分野の進展も目覚ましい。組み立て工場の流れ作業で活躍する機械から、人間の姿形に似せたものまで様々だ。私が子供の頃にマンガやテレビや映画で描かれた近未来がいよいよ現実化しつつある。人間は究極的には人間ソックリな機械を作りたいのだろう。

 自由に丸めたり折り曲げられる紙コンピューターが実用化された世界では、モニターの映りがちょっと悪くなると光にかざして調整したり、しわくちゃになり扱いにくくなればそのままゴミ箱へと使い捨てにされる。工場では人間ソックリなロボットが作業に当たっている。中でも特に影響を受けるのは性産業で、精巧で肉質も人間ソックリなダッチワイフのロボットが安価に大量生産されることで、長い歴史を誇った風俗業界は壊滅するかもしれない。

 紙コンピューターに人間型ロボット・・・といろいろ近未来を想像するのは楽しい。あまりに早い科学技術の進歩には驚嘆せざるを得ない。だが一方で、ふと、だからどうした、と妙に冷静になったりもする。

 部屋の中で私はたったひとり、いろいろ妄想に耽っている。周りにはたくさんのコンピューターが配置されているが全ての電源は遮断されている。妄想するのにコンピューターは邪魔なのだ。コンピューターに依存し過ぎて妄想することを忘れたら人間らしさを放棄することにもなりかねない。

 机の上には同じ大きさの紙コンピューターと従来の紙が仲良く並んでいる。私にとってどちらも重要なアイテムだ。紙コンピューターと本物の紙とどちらが大切か、と凡人の私に優劣など付けられるはずがない――。