人生なんて紙一重

 11月、東京のJR大井町駅前交差点の横断歩道で信号無視を注意した老人が殴られ、路上に転倒して頭の骨を折る重傷で入院、今月20日に病院で死亡したという。亡くなったのは77歳の男性。殴ったのは30〜40歳くらいの男で今も逃走中らしい。

 ときどき、この手の事件がニュースになる。私が東京の池袋で暮らしていたときも似たような事件があった。池袋駅のホームですれ違いに肩でも触れたのかイザコザがあり、殴られた男性が死亡。月日はだいぶ経過したが、殴った男は未だ捕まっていない。

 怒られたり注意されたりすると誰でも気分は悪くなるが、それにしても・・・と思わずにはいられない。すぐにカッとなり逆上しては取り返しのつかない事態に陥る。ほんの少しガマンすれば済むところを――なぜ、暴走するのか。

 事件を起こして逃走中の男たちは、おそらく私と大して変わらない普通の人間だろう。ごく平凡に会社勤めをしていたのでは、とさえ想像できる。それが、ちょっとの短気から人生を台無しにしてしまったわけだ。しかし、もっと台無しにされたのは犠牲になった方で、運が悪いとしか言いようがない。

 平穏無事な人生と、台無しになる人生――その差はほんの紙一重

 自分に非があることが分かっているとき注意されたなら、「すみません」と一言発すればいいだけのこと。ましてや相手が人生の先輩であるお年寄りなら尚のこと素直になればいい。すみませんと口にできないのは、おそらく毎日を追われるように慌ただしくセカセカ暮らして心に余裕がないからだ。ストレスを溜めるばかりで、ストレスの発散が人を殴るというイビツな形で表れる。

 焦る気持ちと、余裕の心。大きな違いのようで、じつはこれこそが紙一重だ。

 私もエラそうには言えない。高齢者と一緒に暮らしている私なども、ほんの僅かのことで激変するかもしれない。想像しただけで恐ろしいが、しかし悲劇を起こさないためにはいつも心に余裕を持ちたい。心の余裕とは、ある意味それは脱力すること。力を入れてばかりいると緊張する。力を抜くことで癒される。上手なストレス発散方法はいくらでもあるはずだ。