ときめきに生きる

 胸がキュンとする。息づかいがちょっと荒くなる。心臓も普段よりわずかに早く鼓動する。あの人のことをほんの少し思い描くだけで、心がときめく。こんな気持ちになったのは久しぶり。

 若かった頃を思い出す。高校生から10代の終わり、そして二十歳を過ぎたばかりの頃。成就するはずもないことは分かっていた。一方的に恋焦がれ、いつも遠くから眺めているばかり。でも、それでも十分満たされていた。

 今は昔と違う。それなりに経験を重ね、人との接し方も上手になった。いざとなってもオロオロしてうろたえることはないと思う。でも、このときめきはなんだろう。どうしてこんなにときめくのか。

 あの人はいったいどんな人で、どこに住んで、どんな暮らしをしているのだろう。あの人は今、何を見つめ、何に耳を澄ましているのだろう。あの人も私のことを、ときどきは思い描いてくれているかしら。

 ずいぶん大人になったつもりの私だったが、なんだか昔とちっとも変わらない気もする。でも、そんな自分が妙にうれしく愛おしい。私の胸の奥底にはまだまだ初心な領域が残っていたのだ。

 そうとも、たとえどんなに年月が過ぎ去ろうと、なんでも分かったふうな老成した生き方はしたくない。何も知らない、何も分からないから、胸がときめくのだ。もし、あの人のことをなんでも理解してしまったなら、どうして胸がときめくものか。

 でも、やはり、知りたい、分かりたい。もっと近くであの人を見つめていたい。すれ違うだけの関係で終わりたくない。私がそっと手をさしのべる。すると、あの人からもぎこちなく差しのべられた手がとどく。

 私の胸がときめくように、あの人の胸もときめいている。生きることの悦びがこれほど感じるときがあるだろうか。この瞬間のためにこそ、これまでの時間が存在していたかのようだ。この、ときめきの瞬間にこそ……。