原発の是非

 朝日ニュースターの「愛川欽也パックイン・ジャーナル」を見ていたら、準レギュラーで軍事評論家の田岡俊次氏が、戦争で多くの犠牲者が出るのは石油などの化石燃料を奪い合うから、戦争を極力防ぐためにもエネルギーは原発に頼るしかない・・・との自説を披露していた。田岡氏は出演する度に同じことを言うが、私には田岡氏の論法は自己を誇示するためのものとしか思えず、とても支持するわけにはいかない。

 戦争を阻止したいがための田岡氏の気持ちは分からぬではないが、原発の是非を問うには、人類がこれまで開発してきた様々な科学技術を同じテーブルに乗せた上でまずは優劣を探るべきであり、初めから政治メカニズムによる戦争を混同させてはいけないと思う。

 すなわち、自動車や鉄道や船舶や飛行機などの交通手段、印刷技術からコンピューターネットワークなどの情報通信、そして同じエネルギー分野における水力や火力や風力や太陽光など、分野は違ってもそれら科学技術に対し、同じ範疇である原子力発電は人類にとってどういう意味があるのか議論すべきなのだ。

 道徳や倫理の比重が大きい戦争の是非を問うとき、当然ながら科学技術との関連性も否定できない。ただ田岡氏の論法を用いれば、科学技術のほとんど全てが戦争に利用されており、戦争を防ぐためには交通手段もコンピューターも使用しないのがベストとなる。

 石油がらみの紛争や戦争を避けるために原発を推進しても、原発にはウランという資源が必要だし、第一、社会システムの基幹となるエネルギーを原発に頼るとしたら、テロやミサイルの標的になりやすい原発が破壊されれば一環の終わりではないか。

 科学技術は、大規模になればなるほど事故の確率は低くなるのかもしれないが、一端事故が発生すれば想像を絶する甚大な被害を及ぼすことを、東電福島第一原子力発電所事故が証明した。自動車事故なら数人から数十人、船舶や飛行機なら数百人、しかし原発はたった一基でも数十万人〜数百万人、それどころか遠く未来の人類にまで影響を及ぼしつづける。

 原発の是非は、政治家でも電力会社でもなく、私たち一人ひとりが民主的手法に則って判断しなければならない。もし、どうしても必要なら私たち自らが危険を背負わなければならず、安全地帯に逃げ込んで他人任せにするわけにはいかない。それが嫌なら作るべきではない。