幸福度とは?

 先月、ブータンの国王夫妻が来日した際「国民総幸福量(GNH)」が話題になった。経済用語に出てくる国内総生産(GDP)や国民総生産(GNP)がこれまでの国力を示す数値として私たちには馴染み深いが、政府は今後GNHも数値化して国家のあり方を問い直すという。

 そう言えば、すこし前に法政大学の研究グループが都道府県別の「幸せ度ランキング」を発表したが、1位が福井県、2位が富山県、3位が石川県、なんと北陸三県で上位独占の結果だった。

 幸福度が注目されるのは、3・11の大震災後の特に長引く原発事故の状況を見て、大切なのは物質的なものより心に関するもの、との認識が人々に深まりつつあるからだと思う。国内の「幸せ度ランキング」は40ほどの統計を数値化したもので遊び感覚の要素が強いが、それでも参考基準にはなるだろうし、ブータン国王夫妻の来日が幸福を考えるため推進の役割を果たしたことは間違いない。

 人間生活を見直そうとする試みは重要だ。しかし「幸福」という人間にとって主観的な分野を数値化できるのか、との疑問が湧く。家族、生活、安全、労働、健康・・・などの中身を具体的に分析して、基準の数値以上なら幸福で以下なら不幸、という結果を導くなら全くナンセンス。そもそも人間の心の状態は数値化できない、との認識に立って幸福を考えるべきだ。

 衣・食・住や、電気・ガス・水道などは人間生活における基盤である。安定した基盤の上で、誰もが人間として普通の生活を営むのはあたり前で、尚且つスポーツや趣味を楽しみながら個性を発揮できるかどうかの多様性こそを探るべきだ。全体を無理に数値化すれば国家の統制管理に繋がる。

 ところで、12月8日は70年前に日本が米英に宣戦布告して太平洋戦争へと突入した日。8月15日の敗戦記念日は日本人にとって戦争が終わり解放された日として忘れられないが、12月8日は「バカなことをした」日として同じく忘れてはならない。

 政治が混迷し、人々が洗脳されて、軍部が暴走した挙句、人々は不幸のどん底に陥り、国家は壊滅した。一本のモノサシで強弱や善悪を判断する誤りを、二度と繰り返してはならない。