昔は本当に良かったのか?

 多くの人が「昔は良かった」とつい口にしたがるが、この場合の昔とはそれを口にした人の若かった頃がほとんどだ。昔と言ってもせいぜい20年〜30年ほど過去のことに過ぎない。ところで、その当時は本当に良かったのだろうか?

 子供(若者)と大人を単純比較したとき、子供は無邪気で他愛なく(若者は純真で希望に満ちて)、けれど大人は分別を備えそれなりの知識がある(悪巧みもできる)…言い方を変えれば、子供(若者)は世間知らず、一方の大人は社会に揉まれてるということ。
 
  成長し社会人となり、人は現実の問題や矛盾に直面し苦悩することが多くなる。だからついつい「昔は良かった」と子供や青年時代にすがりたくなるわけだが、しかし、無垢で無知より、たとえ汚れようと現実を知る方が重要なことは言うまでもない。

 何が不幸で、何が幸福なのか。先が読めなく不安定・不公平が蔓延する社会で生きることは不幸だが、しかし、そんな社会を少しでも改革しようと努力できるならそれは幸福かもしれない。一方、安全・公平な社会で明日の生活が保証される社会に生きることは一見幸福だが、しかし、もしその社会が実は刑務所であったなら、こんな不幸はないだろう。
 
 過去に戻ることはできない、未来に進むしかない。「昔は良かった」と口にしたがる人間は流されてるだけ、自分の無気力を宣言してるようなものかも…「昔は良かった」なんて郷愁に浸ってる場合じゃないだろう。

 昔が良くて今が悪いなら、今を少しでも改善し未来を良くしようと努めなければ。歴史は常に良い方向へ流れるとは限らず、俯瞰すれば良くなったり悪くなったり…それを繰り返してるわけで、だからこそ現在を生きる人間は未来に対する責任を負う。

 人類が生存し続ける限り、人類は同じ過ちを繰り返すのだろう。しかし、だからといって諦めたり虚無感に浸る必要はなく、過ちを繰り返さない道を探し求めるのが今を生きる人間の務めだ。

 歴史を学ぶことがどんなに大切か。世界史や日本史はもちろんだが、自分史を学ぶことが基本中の基本。世界史や日本史は広範で深淵で難しいかもしれないが、自分史なら誰でも学ぶことはできるはず。自分の過去を正当化せず反省(後悔ではない)すること、それができれば変化は必ず訪れる。自身の変化だけじゃなく、社会変革にも繋がるはず。