国境なき市民

 「国境なき医師団」が随分前から活躍しているし、最近は「国境なき記者団」も注目されている。人道支援や事実の追求を求めて活動するなら、医者や記者は国境などにこだわっていられないのは当然のこと。国家に抱え込まれた医者や記者なんてニセモノだ。

  同様に今後求められるのは「国境なき市民(庶民)感覚」である。一人ひとりの精神構造が国家に閉じ込められ国家に操られてはならず、外に向かって自らを解放しなければ。

 確かに、住民登録や税金、仕事、教育、医療、福祉など、それらは今現在国家単位で成り立ち、各国が定めた政令で人々は生活を営むしかない。けれど、地球上に生きる人間として、一人ひとりが横に繋がり、同じ地平に立ち連帯を築くことで、国同士の諍いに惑わされず、窮屈な制度を乗り越えて行くのだ。

 外国人が日本に大勢来たら犯罪が増える…などと、相変わらず心配して外国人を排斥したがる傾向があるが、偏見も甚だしく、とても残念だ。

 しかし、統計からも明らかなように、重犯罪の半分以上は、じつは親族、血縁関係内で生じている。昨年、宮崎県で、叔父や叔母、そして妻や子供ら計6人が惨殺されたが、あの事件などは典型で、近年益々身近な殺人が目立つ。

 さらに昨年12月に国際ニュースでも発信されたが、女性が殺された一番多い場所は、夜間の路地裏でも紛争地帯でもなく、じつは自分の家庭内で、女性被害者の60%に及ぶらしい。これらの事実をしっかりと認識しなければ。

 国家にこだわることは家制度にこだわることに直結しやすく、紛争や犯罪を減らしたければ、内にこだわるのではなく外に関心を抱くこと。そして多くの外国人と交流を深めること、それでこそ安心と安全を確立することができる。国境なき市民感覚を育みたい。