世界は変わるべき、でも自分は変わりたくない

 2年前の政権交代時、長くつづいた自民党政治から民主党政治に変わることで社会が多少は良くなるかもしれない、と淡い期待を抱いた人はかなりいたと思う。私自身も、急な変化はありえないが、それでも少しはマシな方向へ日本は歩み始めるのでは・・・と注視していた。しかし今現在、注視すればするほど幻滅せざる得なくなっている。

 ただし、幻滅したが絶望したわけじゃない。2年経過して民主党自民党と同じになってしまっただけで、昔に戻ったとの意識を抱くだけである。昔に戻るといっても時間が遡るわけではないから、政権交代がなく自民党政治がつづいたら今とあまり変わらないのではと想像するに過ぎない。長くつづいた自民党的体質は本当に根強いのだ、とあらためて思わずにはいられないのだ。

 世の中を変革するのは大変だ。特に、日本のような社会風土で日本人自らが革命を起こすことは、まずありえない。戦争に敗れた後、政治は新憲法を基に議会制民主主義で運営され、一応名前だけでも民主主義は浸透した。人々は急激な革命よりも民意を反映させつつ変化する道を選んだのだ。1970年代には各自治体で当時の社会党共産党の革新陣営が大きく伸長した時期があったが、かりに社会党共産党が政権を取っていようと表が裏にソックリひっくり返るような変化はありえなかっただろう。

 多くの人たちは良心的である。真面目に生活しながら争う事を好まず、毎日が平穏に過ごせればそれでいいのだ。それでも流動的だから悪い方向へ進まぬよう、せめて正直者がバカを見ない世の中であってほしいと願う。ところで、そんな良心的な人々の大多数の本音は、じつは「自分は変わりたくない」のである。

 世界は変わってほしい、でも自分は変わりたくない。社会が変革できない根本原因がここにある。自分は変わらず世界を変えてほしいため、結局は強いリーダーシップを発揮する指導者を求めてしまう。そうして、どんどん引っ張ってくれる強い指導者に依存してゆく。目立つカリスマがある強い政治家の指導の下、やがて世界は大きく変わり始める、悪夢の世界へと・・・。