不自然なスポーツ界

 現在、大阪ドームで第82回都市対抗野球大会が開催されているが、いつも違和感を抱く。これは都市対抗ではなく「企業対抗」だろう。企業名が大きく前面に出て都市名は小さく表示されのみ。たかが一つの野球大会だが、しかしここにはスポーツ界が抱える悪い要素が垣間見える。

 並行して米国ではワールドシリーズと銘打った野球選手権が開催された。セントルイスを本拠地とするカージナルスというチームが優勝したが、「全米シリーズ」をワールドシリーズと呼ぶのは米国の悪いクセだ。何でも一番になりたがることが世界中にどれほど迷惑をかけるか、米国はまったく自覚していない。

 私はスポーツが好きで、オリンピックもサッカーのワールドカップも肯定的である。つい先日も、ラグビーのワールドカップニュージーランドで開催され地元ニュージーランドオールブラックスが優勝したが、注目される大会で米国やロシアや中国などの大国ではなく小さな地域の人々が目立つことはいいこと。例えば、オリンピックの陸上競技100メートルでジャマイカのウサイン・ボルトのような選手が活躍するのを見るのは楽しい。

 スポーツに興味があり応援したいからこそ、スポーツの現状にはたくさんの疑問が湧き文句を言いたくなる。スポーツの基本は何と言ってもルールに則った公平性であり、そのスポーツを文化として成熟させることで世界中の人々が自由と平等を分かち合える足がかりになってほしい。ところが、国家や企業が介入し前面に出ることでスポーツの理想を歪めてしまう。

 都市が開催する市民中心のオリンピックが、いまや国別メダル獲得競争大会になってしまったのはスポーツが堕落した典型である。これからのオリンピックは都市に集う個人や団体のスポーツ大会を目指すべきで、そしてまだ開催したことのない都市での大会を周りが支援することで実現させるべきだ。東京がまた立候補するそうだが、税金をこれ以上ムダに使うべきではなく、高額な宣伝費用は災害支援にこそ充てなければならない。

 それにしても、日本のプロ野球ドラフト会議で特定球団にこだわる選手が今もいるのはとても残念。この不況の時代に好きな職業に就けるだけでも幸せなはず。さらに自分の親戚がいるチームを希望したがるのも信じられない。親せきのいる会社で働くことを避けたいと思うのが普通の神経だろう。事前に挨拶が無かったからと憤るのもまるで筋違いだ。ドラフトという制度が確立されているのに、なぜ指名前に挨拶する必要があるのか。

 不自然でおかしなことが、スポーツ界には多過ぎる。