世界は変わらない、ならば自分だけでも変わる

 民主主義の下、民意を反映させる最も有効な手段として選挙があるにもかかわらず、国政・地方を問わず投票率は50%〜60%ほど、半数近くの有権者が民主主義の権利を自ら放棄している。彼等は口を揃えて「誰がやっても変わらない」と言う。この「変わらない」という意識に多くの人々が呪縛されているようだ。

 ちょっと見渡すだけで、世界は大きく変動していることが分かる。政治・経済・技術・表現・事故・災害・・・目まぐるしく世界は変化しているのだ。にもかかわらず「変わらない」と多くの人々が思い込むのはなぜだろう。おそらくそれは、毎日をコツコツと真面目に生きているのに自分の生活基盤がなかなか改善されない、という周辺事情の実感から湧いて来るのだと思う。悪くなることはあっても良くならないのでは? それが「変わらない」印象に直結しているのかもしれない。

 「どうせ何をやってもダメ・・・」との意識を抱くと次第に暗雲が立ち込め、周囲が鬱状態に覆われかねない。もちろん病気の鬱ではないのだが、未来への希望は失せて世界観が虚無主義的になる。そして、さらに困ったことに、それを思い込む自分こそが、世界について一番分かっていると自惚れるようになる。

 「自分ひとりだけが何をやっても世界は変わらない」は、じつはその通りだ。たったひとりの力など無きに等しい。バタフライ効果理論はとても面白いが、それは偶然が何度も重なる奇跡のような現象であり、決して頻繁に起こりうるものではない。自分ひとりがどんなに力強く羽ばたこうと世界はピクリとも動じない、それが現実である。しかし、自分の無力を十分に自覚しながら、それでも自ら羽ばたこうとする行動に、じつは最も重要な要素が秘められているのだ。

 まずは自分の部屋を眺めればいい。机の上や、本棚や、窓のカーテンを注視すればいい。思い切ってレイアウトを変えてみたらどうだろう。おそらく雰囲気はガラリを変わる。小さく些細なことだが、いつも同じ状態からほんのちょっと変えてみるだけでいい。世界を変える、などと大袈裟な事を考える必要はまったくない。

 簡単に世界は変えられないさ。しかし、周囲の雰囲気を変えるのは意外と簡単だ。わずかな試みから自分の心にバラフライ効果が生じ、これまでの人生観や世界観がさらに飛躍するかもしれない。