お金は何のためにあるのだろう

 お金は何のためにあるかと問えば、やはり使うためにあるはずだ。しかし日本社会では、お金は貯めるためにあるかのようである。特にお年寄りを見ていると使うのはもったいないと、コツコツ貯めることに精を出している。この先何が起きるか分からない、万が一のときはお金が必要、だから貯めることに一生懸命になる。心も身体も衰弱して不安になれば、使うより貯蓄したくなる気持ちは痛いほどよく分かるけれど・・・。

 日本の借金は今や1000兆円に膨れ上がろうとしている。ところが、こんな世界一の借金大国にもかかわらず国際的にまだ信用されているのは、大量の国債が国内で買われているだけでなく、じつは借金を上回るお金を日本人が貯蓄しているからだ。約1400兆円もの大金が銀行やタンス預金に眠っているらしいとの話を聞いたことがある。しかもその大半は、お年寄りがせっせと貯め込んだのだという。

 かつては5人の若者が一人のお年寄りを支えた日本社会だったが、これからは一人の若者が一人のお年寄りを支えなければならない時代を迎える。しかし実際、一人で一人を支えるなんて不可能である。こうなる状況はとっくの昔から分かっていたのに、今になって慌てふためくのは、その場しのぎの政治が繰り返され、問題を先送りして来たからだ。

 人口構成がすっかり変わり、高齢者の年金・医療・介護等を若年層だけで支えることができないなら、若年層だけでなく高齢者も同じ高齢者を支えるような仕組みを構築しなければならない。従来型の消費とは違う、福祉を充実させるための消費にするべきだ。お金持ちの高齢者には、生活苦の人々のため有意義に消費してもらうような社会にしたい。振り込め詐欺に騙されて、一気に何百万円も、何千万円もの貯金を失うようなことだけはしてほしくない。

 日本のTPP参加の是非について議論がようやく活発化しそうだが、よくよく慎重に取り組まないと、日本の貯蓄1400兆円の大半が米国のハゲタカ共に食い潰されかねない。まずは、ある程度は日本国内で流通できる仕組みを作り、若年層にあまりしわ寄せが来ないよう、今こそ元気な高齢者が力を発揮するときだ。貯めるためのお金から、使うためのお金に転換させよう。葬式を気にしてばかり、死ぬ間際まで貯め込む人生はちょっと哀しい。