デモとストライキ

 「ウォール街を占拠せよ」「私たちは99%」をスローガンに、米国のニューヨークで始まった経済格差是正のデモは世界中に広まり長期化しつつある。日本でも東電福島第一原発事故による放射能拡散の恐怖から各地で反原発脱原発のデモが頻繁に行われており、つい先日も東京の明治公園を中心に6万人が動員された。

 デモやストライキは、国民の市民の庶民の労働者の重要な権利であり有効な表現手段だ。それはたった一人ではなく大勢の仲間と共に主張や要求を訴えるからこそ意義がある。多くの深刻な問題が世の中には鬱積しているがゆえにデモやストライキはとても重要なのだ。

 もし、真に自由で平等な社会が実現したらデモやストライキは必要なくなるのかといえば、決してそんなことはない。世代交代する人間社会は時代とともに常に流動的だから、勝ち取った自由と平等を維持発展、後代に受け継がせるためにも大衆によるデモやストライキは意味を持ち続ける。

 ところで、NHKをはじめとする大手マスコミは、デモやストライキに関して事実を報道するかのように見せながら、「一部暴徒化した」や「逮捕者が出た」を必ず大きく打ち出す。確かに大勢の参加者には過激な人々も多少は混じっているかもしれないが、運動の全体像よりも重箱の隅を突くような姿勢で、まるでデモやストライキが“悪”であるかのように報道しているのが分かる。デモやストライキで「交通マヒ」とか「病院やゴミ収集に影響」など表面的事象ばかりを捉え、結果に対する原因を追及しようとはしない。

 よく逮捕者が出るが、その実体は警察権力のヤラセがほとんどであることくらい多くの人々が認識している。暴徒化も、国家権力が裏に回って演出してるのではないかと疑りたくもなる。

 日本では、保守・右翼が主流のマスコミ報道により労働者のストライキが「人々に迷惑をかける行為」であるかのような印象を社会に与えつづけた結果、ストライキは激減し、その挙句の果て、新自由主義の下で格差は一気に拡大、年収200万円以下が1000万人以上、非正社員も40%近くまで増加した。なんと脆弱な日本社会になってしまったことか。

 デモやストライキがまるで発生しない社会とは、それは理想の社会ではなく、むしろ逆で、徹底した管理と有無を言わせぬ強制が支配する暗黒社会に他ならない。