認知症と付き合う

 実家に帰郷しておよそ2年半が経過。帰ってすぐの頃の母親はもの忘れがそれほど激しくはなかった。自分の年金をはじめ、胃腸や高血圧予防の薬、そしてビタミン剤などはそれなりに上手に管理していたようだったが、ある時期から様相が急変する。自分のお金の保管場所を忘れ、それどころか受け取ったことすらも忘れ、そして毎日飲む薬の数がまるで合わなくなってきたのだ。

 なんとかしなければと思った。母親の大切なお金や薬がメチャクチャになってはマズイ。そこで私は、年金の使途や飲み薬を毎日メモ用紙に書き込むことを母親に助言し、さらに全体を私が管理しようかと提案した。しかし、これに母親は激しく抵抗する。母親は形相を変えて私に文句を言い始めた。このままでは親子の関係が気まずくなり、温和な雰囲気をなんとか維持して来た狭い家の中が、へたをすると殺伐な空気で充満しかねない。

 ・・・冷静になって振り返る。母親を思い、母親のための提案が、じつは母親にストレスを与えていたことが分かった。母親にとって私の行動は余計なお世話だった。母親のためと思ってしたことが、じつは私の自己本位に過ぎないことが分かった。

 考えてみれば無理もない。母親は、自分の世界に土足で侵入して来たとの思いを私に抱いたのである。自分のことは自分でやる、との意識だけは認知症になっても消えなかったのだ。

 私は気持ちを切り替えた。認知症の母親と一緒に暮らしながら、なんとかこれ以上ボケが進行しないように努めてきたつもりだったが、今の私はまったく逆に「母親はボケていいんです」と自分に言い聞かせている。

 もうすぐ93歳になる人が身体も心も衰弱するのはあたり前で、ボケない方がむしろおかしい。ボケたって一向に構わないではないか。世の中には100歳になっても元気な人がいるが、しかしそんな人は稀である。90歳を超えて、自分のことは最低限一人でできるだけでも、なんと素晴らしいことだろう。どれほど周りの人たちが助かっているだろう。あらためて周囲の人たち、特に息子である私は母親に感謝しなければならない。

 母親を管理しなければ、という意識を私は捨てた。もちろん勝手に放置させておくという意味ではなく、それはある程度の距離を保って静かに見守るということだ。母親に「ボケていい」との気持ちを抱いたときから、母親だけでなく私もストレスが減り、私が楽になった。多少のお金が行方不明になろうと、薬をちょっと飲み過ぎようと、大げさに考えなくてもいい。弱者に対して何でも事細かく指図し管理しようとすることこそが問題だ。

 明日どうなるか分からない。しかし、ある程度の距離を保ちながら、相手を尊重することだけは忘れないようにしたい。母親が主役で、私は脇役に過ぎないのだから――。そんな思いで毎日を生きている。