認知症と向き合う

 いま私(57歳)は高齢の母親(92歳)と実家で一緒に暮らしている。母親はいまのところ食事や風呂やトイレなど自分のことは最低限なんとか一人でもできるが、しかし物忘れはかなり進行し、お金や薬の管理は難しく、日付や曜日も、食事の内容も、つい20〜30分前の出来事も覚えられなくなった。90歳を過ぎて身体が衰弱するのが目に見えて分かり(年齢的には当然だが)、もはや若返ることはなく、私の役目は母親にのんびりと残りの人生を全うしてもらうために傍で世話をすることである。

 経営していたBARを手放し、長年住み慣れた東京を離れ実家のある金沢へ帰郷した理由とはまさに母親の面倒を見るためだが、メディアなどで頻繁に報道されるように、高齢者の問題がより深刻になりつつある日本では私と似た境遇の人々は本当に大勢いる。仕事を辞め、生活環境を変えてまでの決断は、やはり最も近しい高齢になった肉親をたったひとり放置するわけにはいかないからだ。施設はどこも満員。資金の問題もあり、誰もが希望通り簡単に施設に入れるわけではない。なんとも貧弱な福祉・介護行政の実態がいまの日本の現状に横たわっている。

 医者に通うことが嫌いな母親は正式な診断を受けていないが、書物やインターネットで調べるだけでも、症状は単なるもの忘れを超えて明らかに認知症であることが分かる。たとえばお金に関して周囲に疑心暗鬼になるのは認知症の典型であり、傍で面倒を見る人は対処法に十分注意しなければならない。

 2年ほど前だったか、清水由貴子というかつてのアイドルタレントだった女性が母親の介護疲れのために自殺した出来事が話題になった。真面目で責任感が強く何でも自分で抱え込んでしまったがゆえの悲劇だった。また、面倒を見ていた息子が言うことを聞かない親に癇癪を起し殺害するという痛ましい事件もときどきニュースになる。とても他人事とは思えない。

 明らかに身体も心も衰退してゆく母親を見ながら、いつまでも元気でいてほしい、なんとか自分のことは自分でできるような状態にしておきたい、と願うのは私だけではなく世話に明け暮れる人たちにとって共通の気持ちだろう。しかし、一歩間違えると上に述べた事態になりかねず悩ましい限りだ。

 私も母親の世話をしながら、いろいろ気づかされることがある。毎日勉強させられる。次回につづきを述べたい。