人間の心理 その1

 じつは私は、東京の新宿歌舞伎町で10年以上、11年近くBARを経営していた。夜の7時から翌朝まで営業。昼夜逆転。生活は苦しかったが毎日が楽しかった。さまざまな人とすれ違った。人々との出会いは自分自身を見つめるまたとない機会となり、特にお客様は店を支えてくれただけでなく自分自身の合わせ鏡にもなった。

 脱サラした後、水商売についてまったくの素人だった私が10年以上店を運営できたのは、ひとえに足を運んでくれた一人ひとりのお客様のお陰であり、あらためて感謝したい気持ちでいっぱいだ。諸事情があり、今は故郷の金沢に帰っているが、振り返れば正直に「面白かった」と嘘偽りなく言える。

 さて、一人で知らないBARに入るには誰でもかなり勇気がいるだろう。しかも場所は新宿の歌舞伎町だ。お客の立場としては当然ながら警戒心を抱く。お客が緊張しているのがありありと見える。しかし緊張するのは客を迎える店側も同じ、どんな客が入ってくるか未知数なのだから。こうして、個性豊かな人々と出会ったわけだが、初めて来店されるお客には二つのタイプがあることが分かるようになる。

 ビールやウイスキーを何杯か飲んで多少は落ち着くと、初めての客はマスター(私)や周囲のレイアウトに気を配りだし、いわゆる店の品定めをする。そうして店の雰囲気が自分にとって良ければその後常連になってくれる可能性は高くなり、雰囲気が自分に合わなければもう二度と足を運ばなくなる。

 「いい店ですね。こんど近いうちにまた来ます」とか、「気に入った。次は友達いっぱい連れて来る」とか言ってくれた、じつにありがたい初めてのお客が何人もいたが、しかし、それらを口にした客はその後二度と来店しなかった。一方、ほとんど喋らず、とっつきにくそうな、なんとなくイヤな感じの初めての客が、意外にもその後常連になったりしたのであった。

 最初、私はかなり戸惑った。気持ち良く声を掛けてくれて感じがいいな、と思った客ほど一度きり。反対に、なんとなく肌が合わず扱いにくそうな客こそが常連に。しかし考えてみれば私自身もかつて他の店で似たような振る舞いをしていたことに気がつく。愛想がいいのは表向き、本音はむしろ反対であることぐらい、ある程度人生経験を積めば誰だって分かるだろう。初めての客が店を気に入らなかったからといって、帰り際に「もう二度と来ません」とか「こんな店嫌いです」とハッキリ口にするわけがない。

 客の心理、人間の心の機微、それらをなんとなく掴めだしたのは何度も失敗を繰り返し、何人もの客を取り逃がした経験を重ねた後からだ・・・。