ストライキの激減

 地元新聞に「労働組合が国内の企業を相手に実施したストライキなどの争議行為は2010年に85件となり、比較可能な1957年以降で過去最少を更新〜」「74年の9581件をピークに減少傾向が続いており〜」とのベタ記事が載っていた。それにしても約50年間で100分の1よりもっと以下に激減したわけで、この事実にこそ労働運動の衰退が如実に表れている。

 労働者にとってストライキとは、労働条件の維持・向上・改善させるため経営者に労働側の意志を示す最強の手段である。産業の枠を超え労働者の大多数が団結し仕事をいっせいに停止すればゼネストとなり、時の政治権力に対して最大の打撃を与えることができる。とはいえ、日本にとってゼネストなど夢のまた夢、たった85件の争議行為が日本の現実になってしまった。

 新聞記事のつづき――ストライキ激減の理由として厚生労働省の見解は「労使関係の安定化が進んだ結果」とのこと。嘘だ!と叫びたくなる。正しくは、経営側に呑みこまれて労働側の敗北がつづいたから、なのだ。

 ストライキはあくまでも手段であり目的ではない。かつての過激な組合ではストライキが目的化したため闘争が失敗した例もあり、労働運動の衰退は労働組合の戦略や戦術の未熟さに原因があったことは確かだろう。

 一方、経営側の長期戦略は、ひとつの企業内でなにもかもを請け負ったりはせず、分散化、子会社化、独立事業化させリスクを回避してきた。大・中・小、そして零細、内職と社会の縦構造を固め、その結果、中小労組がストライキをしても上層部ではなく最下層に打撃を与えるように仕組んだ。中小企業の労働組合ストライキを決行すれば、零細企業や内職で家計を支え食べることがやっとの貧困層にとって明日からの生活が困窮する。弱者同士で敵対関係を作らせることこそが政財界の目論見であり、それは見事に成功したわけだ。

 大企業の労働組合は口先で労使対等とは言うが実体は単なる飾り物。それは企業内における総務や経理、営業、製造、品質管理、設計、労働・・・と横並ぶ課のひとつに過ぎず、経営者に言いなりの御用組織だ。

 縦に労働者を分断させた経営陣に対し、横の連帯を形成できなかった労働側の大衆運動は失敗したのである。それにしても、組織率も20%をとっくに割った労働組合の現実と労働運動の衰退は、日本という国家がより弱体化してゆく姿と重なる。