遅くなってもいいじゃないか

 冬に逆戻りしてしまったかのような天気、いや今はまだ冬だからこれが普通だ。最高気温は10℃に届かず寒い、だって冬なんだから。

 でも、いつのまにか今日は2月最後の月曜日。今週末はもう3月だ。年初の大地震で慌てふためき、瞬く間に時間が過ぎた。最近は落ち着きを取り戻しホッとしているが、いつまた足下が大きく揺れるかもしれない

 それにしても、この2月は本当に暖かかったな。おそらく気象庁は来月になって発表するだろう「今年の2月は観測史上最も暖かい2月だった」と。

 天気はともかく、もうあれもこれもと手を出すことは止める。身体が一つしかないのに多くの事をこなすなんて無理。これまで様々な物事に関心を抱いてきたが、それらを実行してきたわけじゃなく、ただ意識だけが先行し、やりたい気持ちが空回りしていたに過ぎなかった。

 気持ちが焦ると実際の行動にも影響が出て、ほとんど成果を上げることができない。たくさんの事に関心を抱くのはいいが、表面をなぞってるだけじゃダメ。自分の出来ることを絞り、それを深掘りしなくちゃ。

 とにかく生きてる間はやりたい事に徹底しよう。当たり前だが、これが意外となかなか出来ないのである。特に若い頃はいろいろ悶々として集中できなかったりする。高齢となり年金生活者となり、やっと確実に一歩ずつ進めそうだ。

 今頃になってもう遅い? いや、決してそんなことはない。人生のあらゆる領域に遅くてダメなんてことはない。むしろ高齢になればこそ視界がハッキリし、目的に邁進することができるようになる。

お金よりも時間を大切にしたい

 2月も後半を迎えると春の兆しがだんだん色濃くなってくる。昨日と今日はとても暖かかったが、今週後半から来週は再び冷え込み雪がちらつく予報。だが気温が7~8℃というからそれほど寒くなく雪が積もることはない。

 さて、これからの我が人生、時間との付き合い方が一番の課題。お金持ちではないが、決して貧困に喘ぐわけでもない私。うまく調整すればこれからも困窮せずに済む、とはいえ時間の無駄使いで後悔することはいくらでも起こりえる。

 高齢になっても生きるためにお金を稼がなければならないとしたら、とてもじゃないが幸せな老後を過ごせそうもない。一方、お金の心配がなくても時間との付き合い方が下手だと、これまた幸せな老後を送ることはできないだろう。

 私の場合、旧家から新居に引っ越して丸5年ほどが経過、築110年のオンボロ旧家から築60年の中古物件の新居に移動したわけだが、リフォームされていたので築年数ほどの古さは感じられず住みごごちは決して悪くない。

 そしてこの5年間私の毎日の生活は、いかに快適な住環境を作るか、が中心にあったと言ってよく、使わない物を処分し、必要な物を揃え、自分の有効時間を確保するためいろいろ試した期間だったと言える。

 ところが、キレイに整理すれば落ち着くはずだったのに、古い物を廃棄し、新しいものを導入する度、その効果を発揮させようといつも部屋のレイアウトを変更してばかり、結局いつまで経っても気持ちが安定しないままでいる。

 使わない物を処分し、必要な物を揃え、部屋の中を整理、生活動線を短くし、より快適な住空間を演出したいわけだが、しかしこれらに気を遣い過ぎるのも、また逆にストレスが溜まる要因になる。身の回りの小さな細かい事にこだわり過ぎて、自分に鎖を巻き付けないようくれぐれも注意せねば、時間は止まってくれない。

暖房器具を見直す

 今週は暖かくなる…どころか暑くなる。15℃以上、17~18℃が続き、20℃を超える日も。今月の終盤は少し冷え込み短時間雪が舞うかもしれないが、しかし冬はもう終わり、春到来を宣言してもいいくらいだ。

 ところで昨年末から今年にかけ、能登半島地震の影響もあり生活全般を根本的に見直してる。無駄遣いを極力避け、断捨離し、終活の準備をしながら、どうすれば自分の時間を長く確保しつつ有効活用できるかを考察中。

 定期購読や保険に関しては前回の記事で書いた。今現在真剣に向き合ってるのが暖房器具。これまで冬の期間はエアコンと石油ファンヒーターで暖をとっていたが、オイルヒーターについて思いを巡らせているうち関心が湧き、それでいつもの電気量販店で品定めすることにした。

 当初、購入するとしても来冬のつもりだったが、店頭で売れ残りの最後の一台がすっかり気に入り、その場で即注文、衝動買いである。選んだのはオイルヒーターの上位機種、マルチダイナミックヒーターという代物。メーカーは有名なデロンギ

 マルチダイナミックヒーターで電気代はかなり嵩むと覚悟している。一方、石油ファンヒーターを避ければ灯油代はゼロになる。光熱費全体を通してそれほど差は出ないだろう。さらに、灯油の注文やタンクの入れ替えをせずに済むのだから、生活上での時間効率の改善がかなり期待できる。

 ただこの製品、届いて早速使ってみてジンワリと何となく暖かさは感じるものの、今のところ期待ほどの暖房効果を得られていない。ただガッカリするのは早計だ。置き場所などいろいろ工夫すれば本来の能力を発揮してくれるに違いなく、せっかく高額払って買ったんだから存分に使いたい。

 なぜこのタイプの製品を選んだかといえば、従来までの石油ファンヒーターを卒業したかったから。灯油の注文や頻繁なそれの入れ替えが面倒で、時間効率が非常に悪かったし、それ以上に化石燃料で値段の高い灯油の大量消費に加担したくなかったからだ。

無駄を省き、上手に節約 

 2月は一年で一番寒い月のはずだが、雪が少ない今年はそれほどでもない。1月下旬の降雪も今ではすっかり溶け、この先も気温は例年より高い日が続き、もしかするとこのまま春を迎えそうな気配である。

 さて、物価高が続く中、年金生活者である私は受け取る年金だけで生きてゆくことはできない。貯金はあるが毎月確実に目減りしてゆくことが分かっているので、生活を見直し、無駄と思えることは徹底して省くことにする。とはいえ食費と光熱費は安易に節約するわけにはいかない。しかし、月40000円以上の飲食代はやはり遣い過ぎだと思う。

 毎日の食事はもちろんこれまで通りきちんと摂るが、それ以外の余分な物を口にしないようにする。例えばコーヒー、インスタントでもかなり高いから止める。コーヒーの代わりに緑茶と麦茶にするつもり。酒も量を減らしたい。

 定期購読(サブスクリプション)の料金も見直す。今現在、北陸中日新聞と雑誌を何冊が購読中だが、さすがに新聞は貴重な情報源なので止めたくない。新聞にもいろいろあり、地元の有力紙である北國新聞はクソ新聞なのでまったく読む気がしない、どころか読むだけ時間と金の無駄である。

 毎月購読してる活字媒体の料金を改めるのはもちろんだが、毎月支払う定期料金といえば保険がある。年金から引かれる国民健康保険介護保険は、国民の義務として当然支払い続けねばならない。

 私は上記の保険以外に県民共済と、ケガや病気に備えて民間の保険にも入っていたが、よくよく考えると民間のそれは本当に無駄な出費なので止めた。なぜなら毎月約4500円の掛け捨てはあまりに高額でもったいないから。ただ県民共済は安いのでこれからも続ける。

 ケチケチして食費や光熱費を無理に節約するのは健康を害する恐れがありとても危険である。それらをケチって後々病気やケガでもしたら却って薬や医療費で高くつくから本当に要注意だ。

一人時間の幸せ

 「お前、いつも何してるんだ?」と訊かれるのは、おそらくほとんどの人にとって迷惑極まりない問いかけだ。何をしようと、してなかろうと、その人の勝手なんだから。

 そんなアホなことを訊きたがるのは、じつは訊いた本人が「何もしてないし、何していいか分からないから悩んでる」と自ら宣言してるようなもの。それで相手のことが気になって仕方ないのだ。

 「どうせ暇なんだろう、付き合えよ」とのイヤな誘いには、堂々と「オレは暇を大切にしたいのでムリ」と断ればよい。暇を確保しボンヤリできることは人間にはとても大切なひと時である。

 今現在、私が毎日生活する中、ホッとして気持ちが寛げるのは、夜寝床で眠りに入るまで眼を閉じていろいろ妄想に耽るとき、映画館で場内が暗くなりいよいよ上映が始まるとき、そして午前中熱いブラックコーヒーを飲みバロック音楽を聴きながら窓から外の景色を眺めてるとき…かな。

 人それぞれの寛ぎ方があるだろう、でも一人でいられる時間を確保できるかどうか、やはりそれがとても重要だと思うよ。

 ただ、せっかく一人になれても過去のイヤな思い出にクヨクヨしたり、周囲の人達の目線を気にしたりするのは、今日を、そして明日を生きるためには何の得にもならない。逆に、昔の楽しい出来事に浸ろうとするのもじつは同様である。

 過去や周囲のために自分は生きてるわけじゃない。自分を少しでも向上させ未来のために一人時間を過ごすべき。年取って「昔は良かった」なんて郷愁に耽るとしたら、それはもう生きながら棺桶に片足を入れてる。それを思うだけで、ただでさえ現在の悪い状況が益々悪くなるばかりだ。

自分の過去を省みて

 スーパーで食材や生活用品をカゴに入れレジに並んでいると、決済を済ませてもレシートを受け取らなかったり、あるいはそれを受け取っても即ゴミ箱に捨て、その場から離れる人を時々見かける。

 今や電子化が進みレシートが自動的に出てくる時代だが、中には自分のそれを出しっぱなしにして立ち去る人もいて、そんなことするのは背広姿の中高年男性である。なんで先の人の残したレシートを後の人が処理せねばならないのか、せめて自分のものくらい自分で始末してくれよ。

 レシートに無関心な人は、無責任いうか無頓着というか、こんな人たちの毎日の生活はどうなってるのだろう。自己管理が甘く、家や部屋の様子が大体想像できる。正直、こんな人たちとは友達になりたくないし、ましてや一緒に暮らすなんて真平ごめんだ。

 こうして文句を言いながら、じつは私も昔は自己管理が相当甘く、会社員時代はお金に関してかなり大雑把だった。家計簿をきちんと付けるようになったのは脱サラして自分の店を構えてからである。

 お金の管理以外にも、これまでの人生で私には多くの反省すべき点が多々あるが、その一つに欲しいものを買ったはいいけど、せっかくのそれを全然有効活用しなかったことだ。

 例えば電気機器会社に勤めていたとき、勉強しようと仕事に関連する書籍をいろいろ購入、しかし最初から最後まで読破した本は一冊もなかった。同じく、外国語(英語)の勉強をしようと、これまた参考書をたくさん買い揃えたが、それらは本棚に並べられただけ、部屋を飾るだけで年月が過ぎて行った。

 さすがにそんなことではダメだし勿体無いと思うから、今は購入したものは使いこなすし、本などは一応読み通すようにしている。興味を抱いたものは触ってみなければその良し悪しは分からず、面白そうな本も難しく理解できなくても、とにかく眼を通さなければ心に響くことはない。

それにしても…

 北陸の冬の天気はコロコロ変わる。昨日は青空で心地良かったのに、今日は一日中雨、明日は雪かみぞれ、そして明後日はまた太陽が顔を出す…といった具合だ。今年は特に変化が著しいような気がする。冬の最中に時々日光を拝めるのは実にありがたいが、しかし明らかに気候変動を感じる。

 予想された通り、今冬はこれまでのところ雪が少なく、能登半島地震で被災した人々にとって、大雪でないことはほんの僅かだが慰めになる。

 大地震から丸二週間が経過、金沢でもたまに小さな揺れを感じるが、気持ちはだいぶ落ち着き、冷静に判断できるようになってきた。ただし、今月中はまったく油断できない。時間が経過して安心していたら、ちょうどひと月後に大揺れした地震が過去にあったからだ。

 それにしても、もっと迅速に国や県は動けないのか。過去の東日本大震災熊本地震と比べても、今回の能登半島地震への政府の取り組みはかなり遅く感じる。半島という地理的な事情にもよるだろうが、それにしても…。

 岸田総理、馳浩石川県知事を見ていると、この人たちの対応はつくづくダメだ。即交代すべき。そして、石川県には大きな地震は発生しない、と高を括っていたのか、長期在任中に災害対策を放置し続けた前知事の谷本正憲氏の責任はとても大きいと思う。

 避難者が避難場所で全然安心できないというのは本当にマズイ、行政の普段からの取り組む姿勢が災害時に露わになる。いつ、どこで、どんな状況下で資金を投入すべきか常に問われるのが政治、少なくとも現在の日本で無駄な軍事やお祭りに貴重なお金を捨ててる場合ではないはずだ。