セックス、介護、引きこもり

 「セックス」や「介護」、そして「引きこもり」、それらの領域が抱える問題はそれぞれ固有に見えるかもしれないが、じつは問題の根本に共通の要素が横たわる。それは強者と弱者の関係である。

 つまり対等な人間関係が築けない状況下において、セックスも、介護も、引きこもりも、内在する問題は解決するどころか、こじれて深刻化するばかりとなる。男性と女性、介護する側とされる側、面倒を見る親と引きこもる子供、それらの関係に強者と弱者が成立して固定化すると、不幸な状況はいつまでも続く。

 男性が力を誇示したくて女性を従わせようとする。そんな男女間で営われるセックスは本当のセックスではない。それは下手すれば、暴力、レイプ、犯罪へと繋がりかねない。

 介護の現場で、介護する側が思う通りにならないからと、介護される人たちに対してイラついたり手を出すようなことがあれば、それは介護ではなく単なるイジメや暴力だろう。

 引きこもりを抱える家庭で、世話する親が引きこもる子供に対し、「さっさと働きに出ろ」と口に出し、無理やり部屋から追い出そうとすれば、子供は心を閉ざし、益々自分だけの世界へ引きこもるに違いない。

 どんな仕事に携わろうと、どんな状況に置かれようと、人間同士は対等な関係を築き維持しようと努めるべきだ。例えば、会社内で社長と平社員とでは地位が違うのは当然とはいえ、社会的立ち位置は人間そのものの強弱を証明しない。

 男性と女性、大人と子供、健常者と障害者、それらは主に外見的な違いに過ぎず、一方が強者でもう一方が弱者を示すわけでは全くない。会社の社長は社内で決定権を持ち、社員はその方針に則り仕事に携わるわけだが、社長は人間として強く、社員が人間として弱いわけでは決してない。

現実は厳しいけど

 大型連休前半は寒くて天候にあまり恵まれなかった。昨日5月1日(日)は朝から雨でしかも相変わらず寒く、この時期に暖房を入れることになるとは。ただ連休後半は概ね好天になるとの予報で気温も上昇するらしい。

 規制が取り払われ、観光地は大変な賑わいを見せてるようだが、新型コロナは全然収束してないことから、おいおい大丈夫か?と首を傾げたくなる。感染者数はあまり減少しておらず、地元石川県等はむしろ増加気味、連休の人出が返って心配だ。

 早くもワクチン4回目摂取の動きも出てきて、今のところ3回目すら50%の接種率だから、接種した人としない人とのギャップが相当出ることになる。ワクチンを2回接種した人でも3回目を回避した人は多いし、3回も接種したからもういいや、と考える人もかなり出てくる。ワクチンは接種しないよりした方がいい、とは思えなくなるかも。

 それにしてもロシアのプーチン大統領、核使用を仄めかしてるが、もうほとんど狂ってるとしか言いようがなく、権力維持のためならどんな手段でも取りたがる。まさに典型的な強権悪徳政治家に21世紀を生きる私たちは翻弄されてるわけだ。

 脅しであり、まさか核兵器を使うことはあるまい、と楽観しない方がいいだろう。プーチンなら実行するかも、その確率は現状では半々。とんでもない時代になってしまった。

 そして世界一の富豪イーロン・マスクTwitterを完全買収、上場を廃止、もっと自由な言論空間を作ると宣言。だが、これも心配だ。あの馬鹿トランプが復活するかもしれない。弱者に対する誹謗中傷を自由な言論と勘違いしてるようじゃ、もう終わり。

 かつてmixiに参加して時々文章を書いていたが、だんだんツマラなくなりもう随分前に止めた。FacebookTwitterも登録してはいるが、書き込みは全然していない。書くことに変な義務を感じたり、依存してるように感じたらさっさと止めた方が健全。

 いろいろあり過ぎて、つくづく現実の厳しさが身に沁みる。その現実の前に「理想」などブッ飛んでしまいそうだけど、現実は厳しいとばかりに「現実妥協主義」に陥るのは最も安易で危険である。今のような時代であればこそ、理想を掲げる現実主義を貫きたい。

これからのエネルギー施策

 一年を通し、4月の下旬から梅雨入り前までは、多くの人がもっとも快適に過ごせるに時期に違いない。私もそう、暖房も冷房も必要ない期間は大変貴重である。ただ、5月に入る前の今はまだ肌寒く、気温の18~20℃は暖房が欲しくなる微妙な範囲だ。同じ表示でも陽が差すか差さないかでまったく変わる。

 先週末など外の空気は生温く、全然寒くはなかったけど、部屋の窓から灰色に覆われた空を見てると、やはり寒々しく、ついつい暖房を入れてしまった。新型コロナの蔓延、長引くウクライナ戦争、そして急激な物価高、これら三重苦で、本当は清々しい新緑の季節のはずなのに、浮かれた気分になれないのはとても残念。

 ウクライナ戦争に関してSNSを覗くと、ウクライナのゼレンスキー大統領を批判する言論が意外と多い。中にはプーチンを全く批判せず、ゼレンスキーのみを罵倒してる人までいる。

 もし、圧政に苦しむ北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国)の人民を救うため日本が攻め込んだらどうなるか。いくら金正恩がヒドイ人物だとしても、日本の北朝鮮への侵略を正当化できるはずがないではないか。プーチンの言動に目を閉ざし、ゼレンスキーを批判する人々、まさにロシアのプロバガンダ、プーチンから利益を得てるんだろうか。

 それにしても、ウクライナの現状を見るにつけ、エネルギー問題は社会基盤を形成する上で最優先課題だと実感する。

 原子力発電は論外だし、火力発電も温暖化抑制で縮小すべき。替わりの再生可能エネルギーにはいろんな手段があるが、今現在最有力なのは太陽光発電風力発電風力発電は巨大な羽根や低周波、自然環境問題などを考慮すると、個人的にあまり好きになれず、そんなに推進すべきでないと思う。

 多少の問題は抱えても、やはり太陽光発電が一番良い。これからは住宅やビルの新たな建造では、瓦や屋上に太陽光パネル設置の義務付けを法制化したらいい。街並みや自然景観を損ねない太陽光パネルは開発できるはず。平らなすべすべしたパネルだけじゃなく、瓦形状のパネルなんかができれば金沢のような城下町の街並みにも合うだろう。

 もちろん太陽光発電だけで全てが賄えるはずはなく、風力も含め、水力や地熱やバイオマスなども適材適所で利用すべきなのは言うまでもない。

季節が移り変わる中で

 先週は前半が夏のように暑くて、後半は冬に逆戻りしたかのように寒くなった。冷たい雨を境に桜は終わり、季節の移り変わりを感じる。寒いからついエアコンの暖房を入れてしまうほど。温度差が激しいから冬物の衣類はまだ片付けられない。

 桜が散り始める頃、冷たい雨が降るのは例年通り、これで一気に花びらは飛散し趣がガラリと変わる。冷気が去った後には初夏の匂いが漂いはじめる。桜に替わり今度はツツジが道端を彩ってくれる。

 四月の中盤を過ぎ、いつの間にか花粉のピークも過ぎたようだ。かつて酷い花粉症に悩まされた私だが、近年は症状も和らぎ、花粉の悩みは解消されつつある。

 4月20日(水)に閉店する近所の格安スーパー「ひまわり」は閉店準備で忙しそうだ。棚から品物がどんどん消えてゆくのを見ると、日常の変化を暗示してるようで、なんとなく不安が増す。

 「ひまわり」の跡地はどうなるのか。新たなスーパーへと生まれ変わって欲しいけど、賃貸アパートかマンションが建つようなら味気ない。せめてコンビニができるなら、近所の住人として助かるが。

 新型コロナは相変わらずだし、ウクライナ情勢は混迷を深め長引きそうだし、加えて物価上昇が尋常でなく、この先いったいどうなるのだろう。かなりの期間、相当厳しい生活を私のような庶民は強いられることだけはハッキリしている。

 第二次大戦後、オイルショックバブル崩壊リーマンショック東日本大震災等々、日本国内だけでも経済基盤を揺るがすいろいろショッキングな事態を経験してきたが、今現在が一番厳しい局面に立たされているかもしれない。

 それにしてもウクライナ戦争に関し、日本人の見解には(日本人だけではないが)、侵略したロシアより抵抗するウクライナ側に非があるかのような意見を目にして気になる(例えば、孫崎享氏などウクライナのゼレンスキー大統領を安倍晋三ソックリと批判していた)。それを主張するのが意外にもリベラル系に多く、みんな裏の裏の裏を読み過ぎてるんじゃないか。

 反ワクチンを掲げる「神真都(やまと)Q会」という米国で陰謀論を振り撒くQアノンを真似したような団体も社会に蔓延り、まったくどんな時代になっても変なのが必ず出て来るから嘆かわしい。

金沢市と富山市

 3月30日(水)に金沢でも桜が開花。一週間ほどで満開となり、散歩を兼ね私は毎年恒例の花見を楽しむため、先週末金沢城周辺を散策。この時期兼六園は無料なので、地元にいながら滅多に足を運ばない私だが、チャンス到来とこの時ばかりはノンビリ園内を歩き回った。

 私の故郷は金沢、だからこの地に対していろんな感情を抱く。批判もたくさんするけど、褒めたいところも一杯ある。金沢の非常に保守的で自惚れてるところは大嫌いだが、一方、観光都市だけに名所が随所に散らばり、城と兼六園を中心に街中を散歩するのは緑も多く変化に富んで楽しい。

 ところで、お隣富山県の県庁所在地富山市では路面電車LRTを導入して以降、街中の活性化が進んでいるという。環境にも優しいLRTは乗客が増加、大成功した事業と言えるだろう。昔、金沢市にも路面電車が走っていたが、中心街での事故を契機に廃止された。

 金沢市富山市は人口がほぼ同じくらいの中核都市。とはいえ歴史も地形もまるで異なるので街起こしの取り組みは違って当然。じつは、金沢市でも富山市を見習い路面電車復活の要望の声を聞くが、LRTの導入はしない方が健全だ。金沢市で重要なのは何より歩道と自転車道の整備である。

 太平洋戦争中、金沢市は米軍による空襲の被害を運よく免れ、街の形状はそのまま。対して、富山市は市街地の95%が焦土と化し、戦後はほぼゼロからスタートした。起伏があり坂も多く、道は幅が狭く迷路のようになってる金沢市と、企画整理された富山市とでは全く違う。

 イメージとしては、観光の金沢市、産業の富山市、といったところか。ちなみに同じ北陸の福井市は教育の取り組みに関して全国トップクラスだ。それぞれが個性を発揮し人口減に悩む北陸地方の活性化に繋がればいい。

 石川県で先月実施された選挙で、知事は馳浩氏、金沢市長は村山卓氏、がそれぞれ新たに当選。新体制から間もないのでまだ分からないが、果たして地元がどのように変貌してゆくか、今後の取り組みに注視したい。

生きづらい

 新型コロナウイルス予防の為、予約した病院で先週三回目のワクチン接種を済ませた。一回目と二回目に関して副反応がほとんど出なくても、三回目でかなりキツい症状が現れる人もいると聞いてちょっと不安だったが、接種後は少し筋肉痛を感じた程度でホッとした。

 接種したからと感染を防げるわけではなく、これは重症化する確率を低下させることを目的としている。ワクチン接種したから大丈夫とならないのは、二回、三回接種した人からも感染者が多く出ていることからも分かる。本当に効くのかという疑問も湧いたが、とりあえず自分の身体と相談して決めた次第。

 全国の新型コロナ感染者数は高止まりしたまま。いやむしろ今現在増加傾向にあり、オミクロン「BA・1」の派生型「BA・2」の蔓延でまた大幅に感染者が上昇に転じ第7波を迎える可能性は十分あり得る。

 ワクチン接種以外、治療薬として近いうち飲み薬も手に入るようになるのだろうけど、結局私たちの生活負担に新型コロナが一つ加わることとなり、ストレス社会が一層深刻になりそうだ。

 そのストレスに大いに関わることだが、今年に入ってからの物価上昇には参った。食料品だけでなく、電気代も大幅値上げ、使用量は大して変わらないのに昨年の同時期と比べて3000円も高くなっていたからビックリした。

 さらに、いつも利用してる近所のスーパーが、なんと4月20日をもって閉店するという。買い物に行ったら張り紙がしてあった。ショック、非常に残念。キャベツ丸ごと98円、トマト3個入り128円、リンゴ4個138円、大型サイズの豆腐二つで68円、モヤシやカイワレが10円…格安の野菜や果物がもう買えなくなる。庶民の味方のスーパーが閉店とはあまりに寂しい。

 話は戻る。感染研が今になってやっと新型コロナの空気感染を認めた。もうとっくの昔にそれは分かっていたこと。原子力ムラと同様、政府お抱えの感染研など全く信用できない。そしてウクライナ戦争は新たな戦争の形、すなわち情報戦の比重が増し、嘘の発表に騙されないことがいかに大切かを痛感する。オーウェルの小説「一九八四」の世界が益々具現化しつつある。

現実はシュール

 新型コロナウイルスが世界を覆う中、桜が開花した日本では各地で花見を楽しむ人々がいて、一方、ウクライナでは戦火で街は破壊され苦しむ人々がいて、これが同時進行する世界に生きてると、つくづくシュールだなと思ってしまう。

 ミャンマーで軍事クーデターが起こり罪なき人々が拘束され、エチオピアやイエメンの内戦は泥沼化し飢餓が蔓延り…その一方で、利権を貪り贅沢三昧する輩、ゲームやスポーツばかりに夢中なってる輩、政治経済には全く無関心な輩…本当につくづく世界はシュールだ。

 シュールレアリズムは20世紀前半に起こった芸術運動。これまでの世界の有り様を新たに捉え直し、じつはシュールこそが現実、現実こそがシュール、シュールレアリズムこそが真のレアリズムというふうに私は解釈する。

 混沌とした世界、秩序らしきものは保たれてるように見えるが、誰かが細い一本の糸屑を引き抜くだけで、折り重なった薄っぺらな実像に見えた繊維の束はバラバラに、頑丈な足場らしきものは幻想で脆くも崩壊、私たちは底無しの世界へ落ちてゆく。

 今や世界中の眼が注がれるウクライナ戦争。しかし解決の道は八方塞がり益々混迷、長期化が懸念される。その理由の一つとしてロシア軍が統制されていないとの指摘があり、ロシアのプーチン大統領はかなり焦っているらしい。

 さらにプーチンの背後にはかつての怪僧ラスプーチンのような、それはロシア正教会に君臨するキリルという名の総主教が、強大なロシアを夢見るプーチンと意気投合、いやむしろプーチンを洗脳してるとの噂もある。

 ロシア国内では「Z」の旗を掲げ、米国のQアノン信者のような勢力が侵略を正当化、救いようがない。そして、政治でも文化でも何でも同じ色に染めたがる連中は日本を含めどこにでもいる。まったく大嫌いな連中だ。

 さて、何が一番幸せというか楽かといえば、疲れた身体を重力に逆らわず横たえ、暖かい布団に包まりながら両目を閉じ、自由に妄想の世界を描きつつ、やがて深い眠りに入ること。現実から逃避、死ぬまでシュールな夢の世界に浸っていたいと切望したくなる今春である。