情けない選挙結果

 先週の日曜(13日)、私の地元石川県で知事選と金沢市長選、さらに金沢市議の補欠選挙が同時に行われた。

 知事選では有力な保守系の男性三人が立候補し、ほとんど横一線で誰が当選するかサッパリ予測がつかないまま投票日を迎える。三人とは自民党を離党した馳浩氏と山田修路氏、そして前金沢市長の山野之義氏。似たり寄ったりの三人、ただ私は馳浩氏だけは絶対当選してほしくなかった。共産党公認女性候補の飯森博子氏は当初から支持が広がらず苦戦。

 金沢市長選では無所属女性候補の永井三枝子に希望を託した。国連大学の職員を経験し、SDGsに積極的に取り組み、こういう国際感覚を持った人が市長になるべきと思っていたからだ。そして、市議補欠選では共産党候補者に頑張ってもらいたかった。保守王国の金沢市共産党議席を少しでも増やすことは重要なのだ。

 石川県知事選は日を跨いで月曜未明にようやく結果が判明、有力候補三人による戦いは最後の最後まで競り合ったが、馳浩氏がギリギリ滑り込むように新知事に当選。山野之義、山田修路の両氏は僅差で敗れた。

 金沢市長選は前副市長で自民党公認の村山卓氏が早々と当選確実に。金沢市議の補欠選挙(定数二)では橋本みつお、北こうさいの両氏が選出され、共産党候補の村田しげる氏は落選。

 同時に三つの選挙が実施された今回の投票率は大幅に上昇、50%をはるかに超え、知事選に至っては60%以上に。しかし結果は私には最悪。全員が男性でしかも自民又は保守系ばかり。

 金沢市長選で応援していた永井三枝子氏は五人中三番目、得票数もトップの村山氏の半分以下、かなりの票を獲得し善戦すると期待していたのでとても残念。石川県の未来はまだまだ暗い、いつになったら夜明けが来るのだろう。

 ロシアの独裁者プーチンを見れば分かる通り、ともかく同じ人物が長期政権を担うのはダメだ。現状の世界を見ても概ねロクでもない国や地域に長期政権が多い。地元の石川県でもあまりに長く同一人物が知事に君臨、ようやく新知事が誕生したとはいえ、実態は前知事の引退により交代しただけ。選挙で刷新しなければ民主主義は発展しない。

最強の安全保障・防衛手段

 ロシアがウクライナ領土を一方的に侵略。ウクライナはロシアに抵抗することで戦争が始まった。こういう昔から繰り返されてきた戦争を見る度、つくづく日本の憲法九条がいかに重要であるかを実感する。

 侵略する側の言い分は常に「自衛のため」で、相手に脅威と恐怖を抱くからこそ攻められる前に攻め込みたがる。もし相手に脅威や恐怖がなければ「自衛のために攻め込む」理由は成り立たない。逆に自国に軍事力がなければ攻撃のしようがなく、だからこそ相手に脅威や恐怖をこちら側から与えることもない。

 日本の憲法九条が世界に広がり少しずつ実践されるなら、時間はかかっても愚かな侵攻・侵略や紛争・戦争は減少してゆくだろう。すなわち日本の憲法九条こそが最強の安全保障・防衛手段となりうる。とりあえず、日本は現状からスイスやコスタリカを見習い「永世中立国」を目指すべきだ。

 ただ、理屈として憲法九条の素晴らしさは理解できても、それでも疑問を抱き不安を払拭できない人々はいるだろう。

 もしヒトラーのような領土拡大・占領を野望に抱く狂人にはどう対処すべきか。一方的に資源や財産を奪い取る凶悪な犯罪国家はいつの時代でも誕生するに違いないし、現にプーチン習近平金正恩のような独裁者に対して、日本が非武装になるのはそのまま侵略を許すことになるのでは?

 だから日本も独立国家として軍隊を持ち、できれば核兵器も所有し、ロシアや中国や北朝鮮と対峙すべき…なんて短絡思考に突っ走るわけである。

 だが冷静に考えてほしい。あのヒトラーでさえ第二次対戦中はスイスへ侵攻しなかった。侵攻したくても出来なかったのだ、なぜなら永世中立国だったから。軍隊を所有するスイスとはいえ、当時ナチスが支配するドイツの軍隊とは比較にならなかったはず。

 日本にも現に専守防衛自衛隊が存在するが、ともかくスイスやコスタリカを見習い永世中立国を目指すべき。勿論、スイスやコスタリカをソックリ真似する必要はなく、歴史も地理も違う日本独自のあり方を確立すればいい。国是として非武装と中立を貫く限り、相手国は疑心に苛まれることなく手も足も出ないのである。

 「もし敵が攻めてきたら…」という消極的な不安に駆られる発想に陥るのではなく、「敵は決して攻め込めない」平和的な発想で国づくりを進め、積極的な外交を展開してゆくべきだ。

お金よりも時間

 60歳で現役を退くのが当たり前だった前世紀までは、引退後に年金で悠々自適の老後生活を送る…と多くのサラリーマンは憧れていたに違いない。

 時代は変わり、今では70歳、80歳過ぎても働く人がザラで、それも好きで働いてるんじゃなく、働かないと生活が維持できないからだ。90過ぎの老人がコンビニの店員として働く姿もネットで見たことがある。死ぬ間際になってまで働かねばならないとしたら、なんと大変な人生だろう。

 無限の可能性を秘め将来に時間がタップリあった若い頃と違い、年を取れば取るほど先が見えてくる高齢者は、お金よりも時間の方が大切なはず。生活に切羽詰まっていなくても、使いもしない金をせっせと貯めるだけだの老後を送るとしたら、一体何の為の人生か。

 ところで、会社勤めのサラリーマンとBarの経営を体験した私は、そのギャップのあまりの違いにいろいろ考えさせられた。昼から夜の仕事へと生活形態が激変したことは勿論、例えば月曜日を迎えた時は全く正反対の気分を味わうことになる。

 サラリーマン時代の月曜の朝は気分が落ち込み、さらに雨でも降ろうものなら憂鬱で何処かへ逃避したくなったのに、自分の店を経営し始めた途端、月曜が待ち遠しく、早く店へ出かけたくなる始末。この違いは一体何か?

 説明するまでもなく、雇われて奴隷のような存在から、経営者として自分の工夫と努力が形として残り、たとえ年収が半減しようと、つまらない仕事から面白い仕事へと転換したからに他ならない。

 しかし何と言っても有意義な時間を過ごせたことが一番。一日の大部分を生活するため身を粉にせざるを得なかったサラリーマンから、店を持つことで趣味と実益がひとつとなり時間を管理できるようになったことが嬉しかったわけだ。

 ずっと昔にサラリーマンを辞めたはずなのに、今になっても就寝中に会社時代の嫌な夢をたまに見て、目が覚めた後にホッとする。対して楽しかったBarを経営していた時代の夢はほとんど見ない。嫌な思い出はいつまでも脳裏に張り付いてる。

恐怖心

 戦争か、回避か、とヤキモキさせられたウクライナ情勢、しかしロシアのプーチン大統領はとうとう軍事侵略を断行。西欧諸国首脳との会談をプーチンは重ねたにもかかわらず、所詮ポーズだけだった。始めからロシア軍によるウクライナ制圧は決めていたかのようだ。

 まったく狂人のなせる業としか言いようがなく、なぜここまで突っ走るのか脳内を暴きたくなる。悪の代表、そして恥晒しとしてプーチンは歴史に名を残したいのか。おそらく心の根底には「恐怖」が巣喰い、プーチンは怖くて怖くてしょうがないのだ。

 プーチンだけじゃなく、習近平金正恩も、そしてバイデンも、日本や他の国々の為政者たちも五十歩百歩、軍隊を抱えそれを強化したがる心理とは「恐怖心」であり、妄想が肥大すると暴走へと進む。恐怖を取り除かなければ人類はいつまで経っても同じ過ちを繰り返す。

 プーチンの言い分にも浅はかだが一般論の思考回路として分からぬではない。陸続きの国境を接したすぐ隣国に、もしNATOの軍隊がロシアに睨みを効かすようになれば、そりゃ穏やかな気分になれるわけがない。

 例えば、ロシアがもし日本に北方領土を返還したら、日米安保条約から即米国の軍隊が駐留しミサイル基地を作るかもしれず、それを想像するだけでもロシアは北方領土を絶対に返還しないだろう。

 ウクライナがいくら欧米寄りの政権で、そしてNATOへの加盟を希望しようと、米国やNATO諸国はなぜウクライナフィンランド化を目指そうとの戦術・戦略を練ろうとしなかったのか。背後には米国の思惑も透けて見える。ロシアのウクライナ侵略は、ひょっとして米国のシナリオ? とさえ深読みしたくなるほど疑心暗鬼にさせられる。

 紛争、戦争、侵攻、侵略を防ぐには、日本の憲法九条の精神を活かし、世界各地に非武装地帯を設け徐々に拡大してゆく、そして世界中の人々から「武力で支配され、武器で殺されるかもしれない」との恐怖心を払拭してゆくことが何より肝心。

 プーチンウクライナに非武装と中立化を要求しているが、それを望むならまずロシア自らが率先して非武装と中立の態度を示し具体化せねば説得力は全くない。自分は重武装しながら相手に丸裸になれというのはあまりに虫が良すぎる。

 ところで、ロシアとウクライナの武力衝突に対し、全世界で反対運動が起きているが、気になるのはデモやSNSの多くが「戦争反対」のスローガンを掲げていること。ちょっと物足りない。これは戦争というよりまさしく侵略なのだ。

 これはロシアのウクライナへの一方的な侵略行為そのものであり、ロシアの侵略に対しウクライナが抵抗してる、だから戦争となる。抵抗がなければ戦争にはならない。

 「戦争反対」はロシアにもウクライナにも喧嘩両成敗的な印象を与えてしまう。だから「侵略反対」の文言こそがより説得力を持つ。ロシアは侵略を直ちにに止めよ!

一体いつまで続くのか

 日曜の夕刻時から降り始めた雪。今日月曜から明後日水曜まで断続的に雪が降るとの予報。かなりの積雪になるかもしれないが、ただ木曜から空は回復、来週に入ると気温も上昇、一気に春の陽気に包まれる。つまり今冬は水曜まで、後2~3日の辛抱だ。

 今冬もエアコンと石油ファンヒーターで暖を得たが、充電式の電気カイロがあるのを全然知らなかった。それはカイロとして暖を取れるだけでなく、スマホタブレットのバッテリーとしても使えるらしく、アマゾンで検索すると値段は3000~5000円までいろいろ揃ってる、もう季節的に外れるが急に欲しくなった。今からでも遅くないし来冬に備えたい。

 さて、専門家が言うには今月始めにピークアウトしたはずの新型コロナのオミクロン株。だが、その後もほとんど衰えることなく高止まりしたまま。連日の感染者数は全国で相変わらず80000~90000人、東京だけでも15000~18000人、私の地元石川県も400~500人、全然減らないし、逆に重症者や死亡者は増加してる。

 「まん延防止等重点措置」が適用されていた地域のほとんどで延長が決まったが、それにしてもこの「まん防」本当に効果を発揮してるのか。私には全く意味がない対策にしか思えず、要は政府や都道府県が「やってる感」を演出したいだけ。

 職場や学校、保育園や老人ホーム、なにより家庭内での感染が目立ち、飲食店での感染者数はデーターからも少ないことが分かる。ただ時短を要請できるのは飲食店で、他の場所や業種では難しいから。「まん防」の効果がないのは政府や専門家も十分理解してるはずなのに、正直どうしていいか分からないのが本音だろう。

 二月も下旬、そろそろ馴染みの店へ足を運ぼうかと思っていたけど、少なくとも今月いっぱいは遠慮することになりそうだ。オミクロン株の感染者数は従来株より桁が違うので、これまで以上に私は用心深くなっている。 次はステルスオミクロンが出現、またまた世間は右往左往するに違いない。

 雪は溶けて春の鼓動が聞こえる今日この頃。季節は確実に移り変わり人々に喜怒哀楽をもたらすが、新型コロナは変異を繰り返し先行きが全く見えず、第7波、第8波に襲われることも十分予想され、一体いつまで続くのか不安が増すばかり。

覚悟を秘めて

 若かった頃は先がまだ十分にあったから、あれもしたい、これもしたい、と夢や希望が膨らみ、ただそれらを想像、夢想、妄想するだけで楽しかった。

 が、年を取り先が短くなると、夢や希望は限定され、より現実的で具体的、なにより身体的なものへと変わってゆく。

 すなわち、寝たきりになりたくない、車椅子の世話になりたくない、病院や施設に入らず住み慣れた自宅で過ごしたい…要するに最期まで自力で生きたいと願うばかりになる。

 ずいぶん寂しい話だが、これが現実だろう。何をやるにしても心身の健康が基本である以上致し方ない。

 人生100年時代を迎え、60代、70代なんてまだまだ若いし、この先30~40年をどう生きるのか、すなわち第二の人生設計が求められるが、とはいえ、日々残りの人生は確実に短くなってゆく。

 だから、限られた時間を大切にせねばと思わずにはいられず、他者に迷惑をかけず、なるべく充実した悔いのない人生を全うするにはどうすべきか、と考えてばかり。

 何をするかは人それぞれ。私にもやりたいことが沢山あり、実はあれもこれもと手をつけたいが、無理すると全てが中途半端になりかねない。

 ただ、心構えだけはしっかりとしていたいもの。元気で長生きしたいのは本音だが、自分の人生は「残りわずか一週間かせいぜい一ヶ月、どんなに長くても一年足らず」との覚悟を心の片隅に秘めながら毎日を過ごしたい。

世間から翻弄されるのは真っ平御免

 新しい年が幕開けたと思ったら、はや1月が終わり、もう2月だ。新型コロナの変異株オミクロンが感染爆発した月として、2022年1月は記録に刻まれる。2月はどうなるか。感染増加はまだまだ続き、ピークアウトまでには時間がかかりそうだし、ピークアウト後もしばらく高止まりしそうな日本の現状である。

 それにしても岸田政権は何も手を打たず、ただ静観してるだけのように見える。時の流れに身を任せつつ、本当に何もしないのが岸田政権かもしれない。岸田首相は「総合的に勘案し判断し」とか言うばかり、何ら具体的方策を示さない。岸田は少なくとも安倍や菅よりマシだと思っていたが、見事に外れた。

 新型コロナの蔓延、世界各地での紛争やクーデター、格差・差別の拡大…酷い時代になってしまったが、だからといって「昔は良かった」と過去を懐かしむようでは、現状は益々悲惨になる。

 今は辛い時代だからこそ未来に目を向けたい。未来は現在より少しはマシになると思いたいし、マシにすることができるはず。もちろん現状に流されるままでは悪くなるだけ。自分の意識がほんの少し変化すればかなり違ってくるし、希望の扉を開けるか閉めるかは自分次第。

 社会変革など大それたこと意識せずとも、自分一人でたとえ小さくても何かを新たに創造してみる。家事労働を工夫したり、部屋のレイアウトを変えるだけでも確実な一歩となるんじゃないか。諦めに支配され、心と身体が停滞すれば、時間と共に自分は衰えてゆくだけだ。

 土曜と日曜は朝から断続的に雪が降り続き、私の地元金沢でも短時間でかなりの積雪となった。月曜になり雪は少し落ち着いたが、一方、新型コロナの変異種オミクロン株の猛威は当分の間収まりそうになく、連日感染者数は最高を更新。重症者や死亡者が増加し、既に医療体制は逼迫している。

 大雪に見舞われ、新型コロナに席巻され、これじゃ外出する気になど全くなれず、閉じ籠るしかないが、家で酒を飲むのは止めたし、冬季北京オリンピックには反対で見るつもりはないし、世間から翻弄されるのは真っ平御免なので、とりあえず座禅を組んで瞑想に耽る。