デストピア

 土曜から日曜にかけ空は雨か曇りでしかも寒く、まるで冬に戻ったかのようだった。東京では雪が降り、積雪も記録し満開の桜もビックリしただろう。我が家では四月に入る前に石油ファンヒーターを片付けたかった。しかし冷え込む予報が出てるので、もうしばらくそれのお世話になる。

 さて、新型コロナウイルスは落ち着くどころか勢いを増し、特に首都圏の増加傾向が目立つ。緊急事態宣言は近日中にも発令されそうで、欧米の主要各都市のように東京も封鎖(ロックダウン)されることは十分あり得る。

 若い頃によく読んだSF小説の恐怖世界が蘇る。映画でもデストピアを描いた作品はたくさんあるが、そんな荒唐無稽だったはずの事態が目の前に迫って来るとは…悪夢が現実化するなんて、これはある意味第三次世界大戦かもしれない。

 新型コロナウイルス騒動を見ていて、ウイルスよりもパニックになる人間の方が恐いと感じる。勿論、コロナウイルスは得体が知れないが故に不気味だし、医療崩壊したイタリアの惨状を見ればノンビリできるわけないが。

 政府の発表や報道機関の表現をそのまま鵜呑みしないよう十分気を付けたい。健康な身体なのに心配のあまり余計な薬(情報)を大量に摂取し、健康な身体だったはずが副作用で重い病気を抱え込む(パニックになる)…なんてことにならないように。

 政府や報道機関は正確な情報を提供すべきだが、東京オリンピックが延長になった経緯を見るだけで頭から信用するわけにはいかない。テレビでは延期が決まる数日前まで99.999%通常開催を叫んでたIOCJOCの元役員だった人が延期になった途端、ヘラヘラ笑いながら来年の開催時期について私見を述べたがるとは無責任極まる。

 安倍政権やそれに追随する輩を見てると、大衆をコントロールしたがる意図が見え隠れし、本当に気持ち悪い。緊急時に冷静でいられるか。金沢でも桜が開花したが、晴れた時間帯に人出の少ない場所でひとり花見しながら、これからのサバイバル、我が身の生き方に思いを巡らすつもりだ。

死刑、自殺、オリンピック

 世間は新型コロナウイルスで騒々しいが、並行して重要な案件が次々と報道された。ひとつは障害者を大量殺人した植松聖被告に死刑判決が出たこと。もうひとつは森友学園問題で自殺した赤木俊夫氏の遺書が公表され、政権と官僚の歪な関係が再び表面化したこと。他にもいろんな話題があるものの、特に上記二つは注目に値する。

 植松聖被告は上告しないようなのでそのまま死刑が執行されるだろう。しかし私は彼を死刑にすべきではないと考える。なぜなら植松聖を死刑にすれば社会は彼に負けたことになるからだ。彼には時間が掛かっても徹底して反省してもらわなければならない。彼のような人間を更生できない社会は未熟な証拠だ。

 森友学園関連(だけでなく)もあまりに酷過ぎる。この問題を闇のまま葬ってしまうなら、これまた社会の敗北ではないか。政権や官僚トップの責任を徹底的に追求せねばならない。「再調査しない」と安倍首相や麻生財務相は言うが、負い目を背負う悪党の言い逃れだ。

 そして、東京オリンピック。開催についていろいろ意見が交わされてるが、IOCJOC、日本政府、評論家、コメンテーター、タレント、いろんな人達の声はともかく、肝心な日本のアスリート達の声が少ないのが残念。

 東京オリンピックパラリンピックをどうするのか、中止か延長か、それとも予定どおり推し進めるのか、冷静に考えるなら延長などありえず、中止か実施か、現状を踏まえれば、中止するしか道はない。

 延長して何としても開催したいだろうが、空いてる期間はないし、さらに費用は嵩むし、選手選考は見直さなければならないし、負担が増すばかり。予定どおり開催しても盛り上がらず、もし甚大な被害が起きれば日本の信用は完全に失墜する。

 オリンピックは何のためにあるのか、新型コロナウイルスが蔓延する中、人類はもう一度真剣に考え直す機会が与えられたと思う。オリンピックとはお祭りに過ぎず、それが中止されたからといってガッカリする必要などないはず。オリンピックに命を賭けたがる雰囲気こそが大問題だ。

 現在の肥大化し利権が複雑に絡むオリンピック、ここに目的と手段が逆転した典型的な世界構図が見える。オリンピックが無くてもスポーツはいくらでもできるじゃないか。

転換のチャンス

 もうジタバタしても始まらない、というか開き直るしかない。時間に委ね、自然に新型コロナウイルスの終息を待つしかないのでは…という気にさえなる。実際、私ができるのは、周りに注意を払うことだけ、いつもの生活を送ることしかできないのだから。

 しかし問題は、終息するまでどれだけ感染者が増え、亡くなる人はどれくらいになるのか、その中のひとりに私がならないことを願うばかり。そして、日本と世界の経済力はどこまで落ち込み、その後、どんな荒廃した風景を見ることになるのか…とまるでSFの世界を覗くかのよう。

 運良く私は普段のままの生活を送れるかもしれない。だが、いずれジワリジワリと困窮の波が襲ってくる。やがて、下手すれば明日の展望が見えなくなる事態に陥るかもしれない。

 新型コロナウイルス関連のテレビ報道を見ていたが、またすぐに消すようになった。普段からテレビをほとんど見ない理由のひとつとして、嫌いなタレントやコメンテーターを数多く目にするから。ネットの世界でも同様。だからネットも遮断し落ち着いた生活を送りたいが、さすがにネットまで目を塞ぐと情報がサッパリ入らなくなる。

 テレビとネットの違いはネットの方が選択肢が多く、その差はかなり大きい。選択肢の種類は重要な要素。ネットの世界は奥深くテレビより面白いが、しかし危険でもある。

 結局、何だかんだと言いながら、今のところ書物が一番為になる。テレビやネットでは勉強した気がしないのはそれが受動的要素が強く、対して書物は学んだ気がするのは、読書がより能動的な取り組みだから。自粛ムードが蔓延る現在、部屋でじっくり書物と向き合えるとしたら、ある意味チャンスかも。

 「禍い転じて福と為す」この際、人間の生き方や価値観が変わって欲しい。これまでは経済力が世界を支配して来たが、しかし、それの脆弱さを今回の新型コロナウイルスが証明した。これを機に人類は反省し、砂上の楼閣に過ぎない競争と富の上昇信奉から、底辺の基盤強化へと転換するべきだ。

病原菌より怖い

 たとえ肌寒くとも三月の声を聞くと、いつもはまず心が身体より先に春を受け入れるが、観測史上もっとも暖かかった今冬のせいで、なにより肌感覚で春の到来を知る今日この頃。青空が広がり、風も吹かず、とても静か、部屋の窓から外を眺めるかぎり、気持ちいい穏やかな陽気だ。

 しかし、外は花粉が舞い、世間は新型コロナウイルスで大騒ぎ、好天にもかかわらず外出する気には全然ならない。本当は河川敷をのんびり散歩しながらバードウォッチチングでもしたいけど。

 街全体がゴーストタウン化してる。先週馴染みのBarに行く途中、金沢の繁華街片町や香林坊界隈を歩いてみたが、閑散として各店舗はガラガラ、活気はすっかり失せていた。

 メイン通りはいつもなら外国人の観光客とはよくすれ違うのに、人そのものが少なく、他人を除けながら歩くことはなかった。いつもの店に入るが普段は混んでるカウンター席の椅子が寂しそう、ママやマスターに話を聞くと、客が来ない日は閉店時間を早めると言う。

 日本社会全体の雰囲気がガラリと変わった。政府が要請する自粛も予定の二週間で終わりそうな気配はなく、さらに長く続きそうで、経済の落ち込みは想像以上になると思われる。中小零細企業や高齢者、ギリギリで生活してる人は生死の瀬戸際だ。

 企業も体力ある大手は大丈夫だろうが、多くの中小零細は立ち行かなるかもしれない。安倍首相が真っ先にパニックに陥り、周りに相談もせず勝手に決めるので混乱に拍車を掛ける。検査体制の不備から新型コロナウイルス感染者数の実態すら把握できないなんて…これまでの政策の失敗のツケが非常時には一気に噴出する。

 嘘が蔓延、デマが飛び交い、差別が増幅される、さらに便乗悪徳商法。これらの方が病原菌よりよほどやっかいで怖い。

もっと冷静になりたい

 新聞やネットでは連日新型コロナウイルスに関する報道が溢れ、普段テレビを見ない私も気になりついスイッチを入れる。社会全体がパニックになる一歩手前のような雰囲気が伝わるが、対応が後手との批判から支持率低下を恐れた安倍首相が真っ先にパニックに陥ってしまったようだ。

 今後二週間ほどが山と見て政府は各分野へ通達、スポーツや祭りなど人が集まる催し物にその期間の自粛を呼びかけ、さらに全国の学校に休校を要請した。しかし感染者が増加したら、二週間が一ヶ月、そして二ヶ月と延長されるのか?

 先を見ず、その場しのぎの対策に走る安倍政権、振り回される市民はたまったものではない。新型コロナウイルスの蔓延を防ぐには、学校の休校より交通機関を遮断すべきと思う…でも、そんなことしたら日本経済は即アウト、するわけないか。

 「私が決断した以上、私の責任で万全の対応を取る決意だ」と安倍首相は会見で語ったが、ところでこの人、モリ、カケ、サクラ…と連続する不祥事で責任取ったことあるの? いつも嘘をつき、逃げ回り、隠れ、責任逃れしてるのは誰だっけ? 安倍首相の発言は全く信用できません。

 検査をきちんとしないから感染者数の実態は曖昧なまま。東京オリンピックを何が何でも開催させるため感染者数をなるべく少なく見せたいのかと勘ぐりたくなる。このままでは、当然東京オリンピックは中止せざる得ないだろうし、今のうちから中止、あるいは延期の要請を世界に向けて宣言すべきなのが責任ある日本の姿勢でしょ。

 風邪は万病の元と言われるように、風邪を引いてこじらせた挙句、結果、持病を悪化させ死亡する場合が多い。新型コロナウイルスでも死亡者は出ているが、そのウイルス自体が死を招くのではなく、それに罹かり体力が落ちて持病を悪化させることが問題のようで、死亡者は高齢者が多い。

 国内でもインフルエンザで死亡してる人の方が実際は圧倒的に多いはず。新型だからワクチンが無いため恐れる気持ちは十分理解できるが、それにしても、ちょっと騒ぎ過ぎのような気がしないでもない。火事が起きた時は水をかける。だが、パニックになり慌てて油を撒いたら、消化どころか大火になる。くれぐれも冷静な対応が必要だ。

 ところで、マスク不足に関連して嘘が一気に拡大、トイレットペーパーやティシュペーパーが店舗からあっという間に消えた。マスクとその他生活用品のペーバーは全く別物、在庫は十分確保されてるという通知にもかかわらず、ネットを中心としたデマで人々は翻弄され現実を見失う。こう言っては悪いが、大衆(私もその一人だが)の愚かさにはつくづくイヤになる。人を操るのはいとも簡単なことがよく分かる。

重大な警告

 とうとう私の地元石川県でも新型コロナウイルスの感染者が出て(21日金曜日)翌日の朝刊一面を賑わせた。これで対岸の火事では済まなくなった…と思っていたら、すぐに二人目の患者が見つかり(24日現在4人)、最初に発見された50代県職員の息子で中学生とのこと。その子が通っていたのはN中学校、なんと私が住んでる町の一番近くに構える学校ではないか。

 正直、他人事のように新型コロナウイルスの報道を見聞していた私だが、その脅威が身近に迫ってることを実感した。とはいえ、慌てることなく冷静に対処すればいい。むしろ怖いのは新型ウィルスよりも人々の過剰な反応だ。

 それにしてもこの騒動、落ち着くまでかなり時間がかかりそうで、社会は相当混乱するかもしれない。ちょうど花粉の時期とも重なり、咳やクシャミの症状から、妙な誤解が生じてパニックへ拡大しなければいいが…と心配になる。

 ともかく今現在、日本は新型コロナウイルスで右往左往、人が集まる各種イベントの自粛が全国あちこちで目立ち、規制がエスカレートしている。病原菌の蔓延を恐れるあまりの措置だろうが、あまりの行き過ぎとちぐはぐな対応に首を傾げざる得ない。

 東京の山手線や地下鉄、そして新幹線、常に人が行き交う駅構内などはどうするの? 各地の集会やイベントが中止なら、ついでに大相撲も野球もサッカーもそして東京オリンピックも中止しなければ辻褄が合わない。しかし大きなスポーツイベントはマスク着用やアルコール消毒を呼びかけつつ中止するつもりはないらしい。

 東京オリンピックは本当に開催できるのか? 開催してもいいのか? ロンドンは東京オリンピックの代替都市として既に手を挙げているが、水面下で関係者たちはどんな動きをしてるのか。

 公表されてる新型コロナウィルスの感染者数はまだ少ないが、症状は出ずとも既に感染や接触で表に出ない実態数はその何十倍、いや何百倍にも及んでいるのは間違いない。人類が生存する限り、ウィルスとの戦いは永遠に続く。新型病原菌はある意味人間社会への重大な警告である。

新型病原菌で思うこと

 国内外の情勢とは別に、ここ数年間私の半径5メートル内でもっとも驚いたのは、それはある店のトイレに入ったとき、ドアを開けた途端、自動で便器の上蓋が開いたのを目撃した時だ。些細な事とはいえ、自動化はこんなところまで浸透していたのか、とちょっとビックリした。

 さて、新型コロナウイルスの勢いが拡大し、患者数や死亡者数がどんどん増加しているが、中国本土だけでなく、日本でも一気に蔓延する可能性が出てきた。いつか終息するとは思うが、それにしても厄介な事態。社会全般にかなりの影響をもたらすのは間違いなく、特に経済的な損失は相当大きくなるだろう。

 抗菌グッズが売れてキレイ好きになり過ぎた現在の日本、新型病原菌にとってこれほど絶好の繁殖地はないかもしれない。極端な清潔志向から日本はとても脆弱になり、免疫ができにくい体質になってしまった可能性がある。

 私の子供の頃は手が汚れたまま食べ物を口にすることなどしょっちゅう、小用の後も手を洗うことなど希だったから、それで逆に丈夫になったかも。私は少なくともこの十年間風邪など引いたことがないし、薬も「百薬の長」以外は飲んだことがなく、病気とは無縁の生活をして来た。それはとても良いこと、自分の健康に感謝している(もちろん、明日どうなるか分からないが…)。

 具合が悪くなれば病院で診てもらえばいい、そんな安易な気持ちではダメだろう。バランスの良い食事、適度な運動、そして知的好奇心、薬要らずは今後もつづけ、死ぬまで充実した生活を構築できれば幸せだ。国家予算の半分を医療関係に費やす日本の現状は異常、なるべく医者の世話にならない身体作りは一人ひとりの責任である。

 ところで新型コロナウイルスが中国を中心に猛威を振るう最中、一方で、米国ではインフルエンザが大流行、1万人以上(2万人以上とも聞く)もの死者が出てるらしい。だがこれの報道はほとんど目や耳にしないが、なぜなんだ?インフルエンザは当たり前の病気になってしまったからか。コロナウイルスも毎年のように発生すれば大騒ぎしなくなるのか。

 それにしても、便器の蓋が自動で開くのはちょっとやり過ぎじゃないか。便器の蓋くらい自分の手で開けようぜ。