自立とは何だろう?

 「自立」とは何か?と考える。これまで私は自立とは何でも一人でできることが基本で、なるべく他者に頼らずに生きること。そのように思い込んでる節があった。一見それは確かに自立してるようだし、決して間違ってはいないけど、もしそれに拘るようでは自分を狭くするだけではないか、じつはそれだけが自立してるわけではないことが最近理解できるようになった。

 自立に反して「依存」があり、何かに依存して生きるのは自立してない証のように思われている。しかしどうもそれはあまりに狭い解釈のようだ。

 人は誰もたった一人で生きることはできず、大勢の人と繋がりがあり、人以外でも様々な物事に依存して生きている。自立してるかしてないかの判断基準とは、他者や物事に依存してる実態を自覚してるかどうか。すなわち依存の対象が多く持てる人ほど、むしろそんな人こそが本当は自立してるのではないか。

 以上のような考え方に拡大変化したのは最近図書館で「8050問題」に関する本を借りて読んだから。もう返却したので正式な題名と著者の名前、そして出版社はハッキリ覚えていないが、中身に説得力があり大いに納得したのであった。

 今のところ私は「8050問題」の当事者ではない。とはいえ「孤独」や「引きこもり」にはとても関心を抱いている。

 自慢するようだが私の家の中はかなり綺麗に整理整頓され、なるべく余計な物を持たないし、食事の後も即片付けるようにしている。何でも一人で処理したがる私である。しかしこんな状態がいつまでも続けられる保障はない。

 私がもしケガや病気をしたり、事故や事件に巻き込まれたらどうなるか、おそらく現状維持は無理、生活が激変するだろう。私のような独りを好む人物の欠点は他者や社会との関係が希薄で、閉じこもる傾向が強いこと、外に頼れる存在が極端に少ないことだ。

 引きこもる人は親や兄弟しか目に入らず、行動範囲も自宅の周辺のみ、中には自分の部屋だけが生活範囲という人もいる。すなわち引きこもりとは依存の対象範囲が極端に狭い人のことなのである。