雑事とは何か

 「こまごまとした種々の事柄。いろいろの用事。(日本国語大辞典)」を雑事と呼ぶらしいが、要は誰もができること、しなければならない事を雑事と言い換えてもいい。毎日の生活を送る中、人が生きていく上で炊事・洗濯・掃除などの家事労働はその典型だ。

 人として親になれば必ず携わらなければならない大切な仕事は育児で、それも家事労働に含まれる。しかし育児がこの世で最も神聖な営みであることは万人が認めざる得ない。

 ともかく雑事とはじつは毎日の生活で必要不可欠な作業の総称であり、人々に平等に与えられたとても重要な位置を占めていることが分かる。だから「雑事」という表現で一括りして良いのかどうか。さて、そんな重要な仕事としての雑事をもし他人任せにしてばかりいるとしたら大きな問題を孕むことになる。

 世の中には誰にもできないことをする人がいて、そんな人を世間は優秀というレッテルで貼りたがる一方、誰もができることを日々こなそうとも、それは当たり前として誰も関心を抱かない。しかし誰もができることを優秀な人が全然しないとしたら、それはとても恥ずかしい、幼稚な人生と言えるだろう。

 新型コロナのパンデミックで「エッシェンシャルワーカー」という言葉が一般化し、社会基盤を支えるなくてはならない必要な仕事として注目を浴びるようになった。しかし医療や福祉、運輸や物流、小売や販売、ごみ収集などのインフラ事業、さらに農業や林業や漁業などのそれらに携わる人たちの待遇は全体的に悪いのが現実である。

 人が生きるために必要不可欠な家事労働やエッセンシャルワーカーなのに、これまであまり光が当てられなかったことが多くの人々を不幸に陥れてきた大きな要因だと思えてしょうがない。パンデミック後はしっかりと見直されるべき。

 少なくとも家事労働に積極的に取り組む姿勢があるかどうか、それが人間を判断する重要な基準とすべきである。コンピュータなんか無くても人類は生き延びることができるが、しかし、炊事・洗濯・掃除、さらに育児・保育・介護等を放棄したら人類は即滅亡する。