スポーツ文化の低迷

    かつて私はスポーツでも野球観戦が好きで、東京時代、後楽園や神宮、そして横浜スタジアムまで足を運んだが、次第に球場から遠去かると同時に、野球にも興味を失った。その大きな理由の一つとして、応援団の存在がある。

    あの球場の応援団とは一体何だ? 「相手選手に汚い言葉を吐き散らし、観客に応援を強制し、従わないと睨んで文句を垂れる。彼らは野球を愛してなどいない、ただ球場で憂さを晴らしてるだけじゃないか。こんな連中と付き合うのはまっぴら御免」と言うわけで、野球観戦が全然面白くなくなってしまった。

    最近の応援スタイルはどうか。いろんな映像で垣間見る限り、益々重症化してるようで、どこの球場でも、皆が一斉に声を出し、チームカラーのシャツを着たりタオルを振り回してる。ファシズムの極致を見るようで気持ち悪い。日本人は楽しむ術をまだまだ知らないようで、とても残念。

    今現在開催中の、春の全国選抜高校野球大会。千葉の習志野高校の応援“美爆音”が話題になってるが、球場周辺では「うるさい」との苦情がかなりあると聞く。プロでも高校でも、とにかく鳴り物入りは即禁止すべきだ。鐘、太鼓、トランペット…これらは単なる騒音以外何物でもなくストレスが溜まるばかり。

    その習志野高校、2回戦の星稜高校と対戦中にトラブル発生。星稜の林監督が試合後、習志野が試合中星稜バッテリーのサインを盗んだとして、習志野の小林監督にルール違反として直接抗議。対して小林監督は「星稜もやってるでしょう」と言い返したらしい。もしこれが事実なら、習志野は自ら「やってました」と認めたようなもの。

    非常に後味の悪い顛末で、改めて高校野球を考えるし、いや、高校野球だけでなく、スポーツ全般に対して疑惑が生じる。

    表と裏のギャップが大き過ぎてスポーツの世界が醜く歪んでるのは確か。特に若い世代が取り組むスポーツは、表向き純粋さを演出しながら、じつは若者のためというより周囲の大人が得するため利用してるだけだろう。裏側にもっとメスを入れなければ、スポーツは文化として育たない。