イチロー引退

    テレビ、新聞、インターネット…日本中のあらゆる情報媒体が似たような主旨の報道をしてるので、今さら私が追随するのも何だが、とはいえやはり私も一ファンとして書き留めておきたい。

    イチロー選手がとうとう現役から引退した。所属する大リーグ・マリナーズ球団の日本での開幕2試合が、45歳イチローの花道となってしまった。イチロー選手の引退に対し、「お疲れさま」とか、あるいは「よく頑張った」なんて、軽々しく声は掛けられない。彼の野球人としての存在及び、彼の残した業績は、ありきたりの言葉を超越しているからだ。

    普通、引退はシーズン終了間近か、シーズンオフに発表されるが、開幕2試合目というのは異例。これに関してタレントのダンカンが「茶番」とツィートして物議を呼んだらしく(私は詳しい内容は読んでない)、確かに日本での開催試合ということから、前もってイチローの引退は決まっており、すべてはシナリオ通りだったのかもしれない。

    しかし、たとえそうであっても私はイチローの引退興行にケチを付けたくない。彼はこれまで十分過ぎるほど活躍したのだから、満員になった東京ドームの観客の前で引退試合ができたことを彼への御褒美としたい。

    過去を振り返るなら、イチロー選手の最初の入団がセ・リーグ、特に巨人でなかったことが、本当に良かった。もし、巨人や他のセ・リーグ球団に入っていたら、決して「イチロー」にはなれなかっただろう。パ・リーグオリックスで最初の2年間は土井正三監督の巨人型に苦しんだが、3年目から個性を尊重する仰木彬監督と巡り会えたことはつくづく幸運だった。

    走・攻・守が上手な野球選手はただでさえ数少ない、にもかかわらずそのどれもがトップクラスのイチローはだから最高の野球選手(野手として)だった。こんな選手は奇跡のような存在で、今後滅多に出てこないだろう。

    と、ここまで賞賛の嵐がイチローに降り注がれるが、イチローが超一流なのはあくまで野球選手としてであり、人間としてではないのだということは付け加えておく。イチローが人間として真価が問われるのはじつはこれからなのであり、人間として超一流になるのは野球選手で超一流になるより遥かに難しいのだ。偉そうで申し訳ないが、以上の文言を彼への花道として私から送りたい。